デイヴィッド・クローネンバーグJr.が挑むバイオロジカルな領域
真っ白な壁や床で囲まれたクリニックの待合室のソファに6名の男女が一定の距離を保ってシンメトリックな位置関係で座り、それぞれ雑誌を読むなどして自分の順番を待つなか、新たに加わった若い男性が一瞬躊躇した後に中年女性のすぐ隣りに腰を下ろす……。この『アンチヴァイラル』冒頭付近の簡単に見過ごされるであろう一場面に、いきなり若き映画作家の卓越したセンスを垣間見る思いに駆られたのは僕だけだろうか。整然とした左右対称の世界にもたらされる、ほんの些細な乱れ。これこそ、僕らが病と呼ぶものの正体であり、本作のその後の物語を見事に予告するかのようなのだ。
“デイヴィッド・クローネンバーグの息子”との前置きめいた形容が、少なくとも当分のあいだ付きまとうであろう、ブランドン・クローネンバーグによる長編劇映画デヴュー作は、姑息な小細工を弄することなく、むしろ堂々とクローネンバーグ的主題を継承する戦略において感嘆に値する。むろん、予測不能の不意打ちめいた映画の登場も歓迎されるに違いないが、ほぼ期待や予想通りの映画を涼しい顔で撮ってしまう才能にもそれ相応の賞賛で報いねばならない。そんな意味でブランドンは、父親以上に正統派のジャンル映画の作り手といえるだろう。断っておくが、僕としても苦し紛れの姑息な逆説や韜晦で本作への評価を曖昧にしたいわけではない。父親は、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』以降の作品において、本作で扱われるバイオロジカルな領域から意図的に距離を置き、映画作家としての成熟を果たした。しかし、この『アンチヴァイラル』を見てしまうと、そうしたデイヴィッドの転身が、ことによると息子の存在を意識してのことだったのかもしれない……とさえ思えてくる。そう、父親が身を引くことを決意した領域を、今度は息子が堂々と継承し、発展させる……。これはなかなか感動的なhistory(歴史=物語)ではないか……。
息子が父親の作風をあえて継承する戦略を大いに評価するのは、逆説や韜晦としてではない……と先に書いた根拠は、その戦略が本作の主題と密接に関わる点にも由来する。「親の七光り」や「血は争えない」といった常套句は、いずれにしても子どもは親の影響から無縁ではなく、親のコピー(類似物=贋物=複製物)にすぎないとの認識に基づく。そうした当然の前提に苛立ちを禁じえない、怒れる子どもたちは、懸命に親の影響と戦ったり、そこから自由になろうと努めるだろう。いわば先行世代や既成のエスタブリッシュメントへの反抗の身振りである。だが、そうした身振りは、いささか時代遅れなものとなったのではないか。コピーであることを嫌い、貶める姿勢は、相変わらずのオリジナル信仰を基盤とする。オリジナルを尊きものとして崇め、コピーをいかがわしき劣化物、海賊版として毛嫌いすること……。しかし、この映画の物語は、そうした優劣関係それ自体の崩壊を描き、そこでの文脈で言葉を選ぶなら、ブランドンは父親の作風を継承したのではなく、そこからの感染をあえて積極的に受け入れるのだ。
主人公シドが勤めるルーカス・クリニックは、何らかの病気を患ったセレブ(有名人)からウィルスを譲り受け、それをクライアントに感染させるという、不可解な治療(?)で業績を上げている。同じ病気を患うことで、崇拝者はセレブとの一体感を味わうのだ。シドは密かにウィルスをクリニックから闇市場へと持ち出し続けるが、それも単に金稼ぎの手段というより、彼自身、病の感染に憑かれている。これも父親の近作からの継承=感染の産物である女優サラ・ガドンの存在によって体現されるセレブとは、大衆が共同して作り出す集団的幻想であり、シドの言葉を借りれば、「more than human」な完璧で幻想的な存在である。発症をenjoyしなさい……とは、近く患者になるクライアントにシドが告げる言葉だ。究極の商品としての病。現代資本主義の核心がバイオロジカルな次元や過剰な享楽の強要にあるとの認識は、かなり的を射たものであり、ここでのアンチ・ヒューマンな態度も刺激的だ。たとえば、フロイト的なヴィジョンに従えば、人間は本能の壊れた生き物であり、ある種の病=無意識をあらかじめ抱え込む。ノワール的なファム・ファタールの導入など、古典映画からの感染も受け入れつつ、しかし、本作で展開される現代資本主義論には、父親にどこか残存していたカウンターカルチャー的反抗の身振りを突き抜けるクールな潔さがある。
ウィルスにとって人間は徹底して無意味な存在で、増殖のための素材や容器にすぎない。ちょうどこの文章を書き始めた矢先、それまで人への感染が確認されてこなかったタイプの鳥インフルエンザが感染者を死へと至らしめた……との中国での出来事が世界(人間界?)を駆け巡りつつある。人は病の感染に恐れを抱くが、その恐れの流布を楽しんでもいるのであり、そうした恐れ=楽しみの強要こそ、現代資本主義の“病”であるに違いない。
映画『アンチヴァイラル』
監督・脚本:ブランドン・クローネンバーグ
音楽:E.C.ウッドリー
出演:ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ/サラ・ガドン/マルコム・マクダウェル/ニコラス・キャンベル/ダグラス・スミス/ウェンディ・クルーソン/シーラ・マッカーシー
配給:カルチュア・パブリッシャーズ、東京テアトル(2012年 カナダ・アメリカ 108分)
◎5/25(土)、シネマライズほか全国ロードショー!
http://antiviral.jp/