「3社横断」ものともせず、正攻法の全曲録音を完成した樫本&リフシッツ
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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスターの重責を担うヴァイオリンの樫本大進、その3歳年長で同じく神童からヴィルトゥオーゾへの見事な脱皮を果たしたピアノのコンスタンチン・リフシッツ。現在はともにベルリンを本拠とする2人のデュオには10数年に及ぶ蓄積があり、期待を裏切らない。
リフシッツは1976年にウクライナで生まれ、旧ソ連式の英才教育を受けた。だが18歳でライヴ録音した日本市場へのデビュー盤がJ.S.バッハの《ゴルトベルク変奏曲》だった事実が物語るように、ロシア音楽の超絶技巧で売り出した同僚たちとは出発点からして異なっていた。ベートーヴェンを弾くに当たっても、フォルテピアノなど作曲当時の“ピリオド”楽器の構造や音色をしっかり、頭に入れてから臨む。
これに対し重機械会社の海外駐在員を父に1979年、ロンドンで生まれた樫本はドイツのリューベックで「コンクール優勝者製造マシン」のロシア人教師、ザハール・ブロンに鍛えられて頭角を現し期待通り、国際コンクールの覇者に躍り出た。しかし長年のドイツ暮らしの中で「バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3大Bをきちんと解釈できるヴァイオリニストになりたい」との意思を固め、20歳の時にライナー・クスマウルの門下へ転じた。クスマウルはフライブルク音大教授として名声を博した後、クラウディオ・アバドに請われ、期間限定でベルリン・フィルのコンサートマスターに就任。重厚長大の名門をピリオド奏法に対応したスーパー・ヴィルトゥオーゾ集団に変身させた傑物だ。
2人が満を持して録音したベートーヴェンのソナタ10曲は偶然にもレコード会社の再編期に当たり、最初の作品30の3曲がEMU、第9番《クロイツェル》と第10番がユニバーサル、今回の第1番~第5番《春》がワーナーと発売元がめまぐるしく変わった。だが、演奏内容は「新時代の正攻法」で一貫し、全く揺るがない。ピアノ主導からヴァイオリンの比重を増し、両者対等へと進むベートーヴェンの進化の中心でシリーズを始め、終着点から起点へと遡る巧みな計画は、どちらが立てたのだろう? 《春》は20歳の時にも録音(ソニー)したので、樫本にとって再録音となる。共演者の違いもあろうが、ソロとオブリガートのフレーズの弾き分け一つ挙げても、様式感の飛躍的な洗練を実感できて頼もしい。人格的にもひとまわり大きくなったとの印象を強く与える。