歌のちからはヘリオトロープ いまこそ歌のちからを
誰もが知っている『手のひらを太陽に』は、『アンパンマン』の原作者であるやなせたかし氏の作詞と、青春ドラマの主題歌として風靡した『太陽がくれた季節』の作曲者であるいずみたく氏が手掛けたものだ。やなせ氏がかつて落ち込んでいた時期、自分の手を、暗がりの中懐中電灯で温めながら仕事をしていた時に、ふと手をながめると、真っ赤な血が流れているのが見えた。自分が生きていると言う実感を思いがけず得たとき、やなせ氏は、その生の実感と喜びを、そしてそれを謳歌せねばという前向きなエネルギーをみずからの血潮から受け取った様だ。この時の清々しい気持ちを詞として綴り、知人であったいずみたく氏に作曲を委ねたものが『手のひらを太陽に』となった。惜しくも、両氏とも亡くなられてしまったが、やなせ氏もいずみたく氏も、人気漫画家、ヒットソングの作曲家の枠を越えたマルチエンターティナーであった。それは彼らのバイオグラフィーを見てみればその才能に改めて驚く事になるだろう。
やなせ氏は、大学でデザインを専攻し、上京して百貨店のグラフィックデザインの仕事の傍ら、漫画家として精力的に活動する。職業漫画家として独立後は、大人漫画・ナンセンス漫画を中心とする漫画集団に身を置きながら、放送作家、舞台美術など多方面に才能を発揮した。昭和35年、永六輔作演出の『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を手掛ける事になり、この時いずみたく氏と出会う事になる。昭和48年、雑誌『詩とメルヘン』を創刊、自ら編集長として采配を揮う。『アンパンマン』のヒット後も、絵本作家・イラストレーター、詩人、歌手など幅広く活動を続け、晩年は『アンパンマン』ミュージカルの公演を通じてアンパンマンのテーマである人間愛を、直接、各地の子供たちに広げてゆく活動に務めた。
いずみたく氏は、学生時代は演劇を専攻、昭和27年に「うたごえ運動」に参加、創作活動を開始。間もなく朝日放送ホームソングコンクールでグランプリを受賞する。また三木鶏郎が率いる「冗談工房」に参加。作曲家として数々の俳優や芸人、作曲家・放送作家を輩出した『トリローグループ』の一員として活躍した。《恋の季節》《いい湯だな》《夜明けのスキャット》と言ったヒットソングの他、「チョコレートは明治」「バーモントカレーの歌」のCMソング、「徹子の部屋」の番組テーマ曲など生涯1万5千曲以上の作曲を手掛けた。いずみたく氏の突出すべき功労は、日本におけるオリジナルミュージカルの創出に尽力されたことだろう。作曲は基よりミュージカル俳優の養成、ミュージカル専門劇団の旗揚げ、専門劇場を開設し生涯を通じ、音楽劇の可能性を模索した。日本人の心象風景に訴えかける、ブロードウェイのミュージカルに負けない舞台の創出。いずみたく氏は、脚本・音楽・歌唱と演技を兼ね備えた作品づくりに生涯挑戦しつづけた人であった。
歌は、人間の生活を豊かにする。また歌は、悲しい時もその心情に寄り添い勇気づけてくれる。さまざまな歌があるが、歌は、顔を上に向け高らかに唄えるものがいい。やなせたかし、いずみたく両氏の手掛けた『手のひらを太陽に』は、まるで日常生活を生きる日本人のテーマソングのようだ。世代を越え、次世代に歌い継がれる名曲だと言えよう。
『0歳から99歳までの童謡』は、昭和48年から、やなせ氏が毎月ひとつずつ作りはじめた、本人曰く"歌の貯金"と言うべき作品群なのだそうだ。この創作活動に、いずみたく氏が協力を約束し、商業的なことはなんにも考えずにひたすら作ったものであると言う。昭和51年から1年半の間に3枚のレコードが発売され、やがて全てが廃盤となった。しかし今年2月、2枚組CDとして復刻されるのだと言う。
平成も26年となり、文明の発展が人間関係を希薄にしている。子供たちでさえ、携帯やゲーム機を手に、下を向いたままだ。
今こそ、歌のちからを!
歌の力はヘリオトロープ。