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追悼 マリス・ヤンソンス(1943年1月14日 - 2019年11月30日)

マリス・ヤンソンス

世界的巨匠指揮者で、1977年の初来日以来、度重なる来日で我が国の聴衆にもお馴染みの存在だったマリス・ヤンソンス氏が2019年11月30日、サンクトペテルブルクの自宅で亡くなりました。76歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。


青年期(1943~1970)
マリス・ヤンソンスは指揮者アルヴィド・ヤンソンスの息子として1943年1月14日にラトヴィアのリガに生まれました。
レニングラード音楽院でヴァイオリン、ピアノ、指揮を学び、優秀な成績で卒業。続いてウィーンでハンス・スワロフスキーに、ザルツブルクでヘルベルト・フォン・カラヤンに師事しました。


デビュー時代(1971~1989)
1971年(28歳)にヘルベルト・フォン・カラヤン財団の指揮賞を受賞、同年、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指名でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団で彼の助手となりました。以後1999年(56歳)まで、ヤンソンスは常任客演指揮者として同オーケストラと緊密な関係を保ちました。1977年(34歳)にはムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルに副指揮者として同行し、初来日。1986年(43歳)には病気のムラヴィンスキーに代わってレニングラード・フィルの来日公演をすべて指揮。1989年、92年、94年にもテミルカーノフとともにレニングラード・フィルを率いて来日しました。

レニングラード(サンクトペテルブルク)・フィルとの名盤

 

世界的指揮者へ(1990~2002)
1979年(36歳)から2000年(57歳)までオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、このオーケストラに世界の一流オーケストラの仲間入りを果たさせました。この間、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者(1992~1997年)、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督(1997~2004年)も務めています。1988年(45歳)にはオスロ・フィルを率いて来日、1993年、96年にもオスロ・フィルと来日し、1998年、2002年にはピッツバーグ交響楽団と来日しました。しかし、1996年4月(53歳)にはオスロでプッチーニの《ラ・ボエーム》の最終ページ指揮中に心臓発作を起こし、手術により奇蹟的に一命をとりとめましたが、その後は埋め込み型除細動器を使いながらの活動を余儀なくされました。1996年12月のオスロ・フィルとの来日は、この心臓発作からの生還直後に行われたものでした。

オスロ・フィルとの名盤

 

名実ともに世界の巨匠へ(2003~2019)
2003年にドイツ最高のオーケストラのひとつ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任(亡くなるまで)。2004年にはアムステルダムの名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任(2015年まで)。世界の2大オーケストラを掌中に収めたヤンソンスは、以来、17年にわたって名実ともに世界最高の指揮者として活躍を続けました。2005年秋には、バイエルン放送響との初の日本と中国へのツアーを行い、この時の演奏は日本のマスコミに絶賛され、年間コンサート・ランキングの第1位に輝きました。さらに2012年には、ベートーヴェンの交響曲チクルスが、ミュージック・ペンクラブ・ジャパンによって、外来アーティストによる年間ベスト・コンサートに選ばれた。またヤンソンス率いるバイエルン放送響は、レジデンス・オーケストラとして、毎年、ルツェルン復活祭音楽祭に招かれている。2006年・2012年と2016年の元日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの指揮を務めています。またベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にも度々客演しました。日本へはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と2004、06、08、10、13年に、バイエルン放送響とは先の2005年、12年以外にも2007年、09年、14年、16年に来日公演を行い、好楽家を喜ばせました。

バイエルン放送響との名盤

 

 

 

 

ロイヤル・コンセルトヘボウ管との名盤

 

 

 

栄誉に包まれた晩年
これまでに数多くのレコーディングを行っており、国際的な賞を多数受賞。その中にはショスタコーヴィチの交響曲の全曲録音で受賞したグラミー賞が含まれます。「コンダクター・オブ・ザ・イヤー」には、2007年のエコー・クラシック賞と、2011年のオペルンヴェルト誌によって選ばれています。ヤンソンスとバイエルン放送響は、ブルックナーの交響曲第7番のCDで、2010年にエコー・クラシック賞の「年間最優秀レコーディング(オーケストラ部門)」に選ばれ、2013年には、世界で最も重要で権威ある音楽賞のひとつ「エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞」を授与されました。彼は、ノルウェーの「ノルウェー王国功労勲章」、オーストリアの「科学芸術名誉十字勲章」、ラトヴィアの「三ツ星メダル」、バイエルン州の「マクシミリアン勲章」、ドイツの「大功労十字星章」、オランダの「オランダ獅子勲章ナイト」、フランスの最高位の文化賞「芸術文化勲章コマンドゥール」、そして2015年3月にラトヴィアの最高の芸術賞「ラトヴィア音楽大賞」を授与されました。

2019年11月30日、ペテルブルグの自宅にて逝去(バイエルン放送交響楽団が発表)。享年76。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

各国のレコード賞を得たヤンソンスの名盤

カテゴリ : Classical

掲載: 2019年12月02日 17:00