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日経日曜版「名作コンシェルジュ」に紹介!グリュミオーのベルク&ストラヴィンスキー

アルテュール・グリュミオー

「磨き抜かれた音色 潤い保ちつつキレ良く」(鈴木淳史氏評)

ベルギーが生んだ20世紀の世界的名ヴァイオリニスト、アルテュール・グリュミオー(1921~86)が1966/67年に録音した「ベルク/ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲」が2020年1月12日(日)の日本経済新聞日曜版の鈴木淳史氏による名物コラム「名作コンシェルジュ」に紹介されました。ここでは、その掲載盤と名手グリュミオーの生涯と芸術についてご紹介いたします。

鈴木氏は「美音のヴァイオリニストといえば、やはりアルテュール・グリュミオーだ。その艶やかに磨き抜かれた音色には、しっとりとした品格も宿る。」と書き出し、彼が正統的な「フランコ(フランス)・ベルギー派スタイル」の継承者であると紹介。20世紀作品を取り上げた当CDは「清純は女優が本格派ホラー映画に主演するようなインパクトを覚えつつ聴いてみると、これが存外しっくりくる。」と解説し、ベルクでは「この複雑に入り組んだ音楽に凛として正面から向き合う。冷たい音は一つもない。」、ストラヴィンスキーでは「潤いを保ちながら、キレの良さも抜群。まさしく洒脱の極みだ。」と評しています。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

グリュミオーの生涯と芸術

(1)天才伝説
アルテュール・グリュミオーは1921年3月21日(大バッハと同じ誕生日)、ベルギー南部の都市、シャルルロワ近郊の小さな村ヴィレール・ペルワンに生まれた20世紀を代表するヴァイオリニストの一人である。3歳のとき、祖父の手ほどきをうけヴァイオリンを学び始め、5歳で最初のコンサートを開くまでに上達。通常11歳から入学資格があるシャルルロワ音楽院に特例により6歳で入学、弱冠11歳でヴァイオリンとピアノの国家試験に合格した天才ぶりを示している。1933年にブリュッセル音楽院に入学し、二つの楽器から一つを選ぶように迫られ、ウジューヌ・イザイ(1858~1931)の高弟、アルフレード・デュボア(1898~1949)のヴァイオリンのクラスを選択。「素晴らしい教えと、親切」を受け、同時に和声学、フーガ、対位法を学び、14歳でブリュッセル文化の中核を担うアールヌーボー建築物、パレ・デ・ボザールでデビューするまでに至った。1939年にベルギーの国内コンクールでヴュータン賞を獲得すると、師のデュボアのすすめでパリのジョルジュ・エネスコ(1881~1955)の夏期講習を受講し、ヴァイオリンと作曲を学び大きな影響を受けた。ブリュッセルに戻るとデュボアの助手となり、パレ・デ・ボザールでシャルル・ミュンシュ(1891~1968)の指揮によりメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏している。

(2)第2次世界大戦中の苦難
1940年5月、第2次世界大戦でベルギーがドイツに降伏。グリュミオーの才能はドイツの目にとまり、ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターの地位を提示されたが、それを拒否。家から家へ逃げてゆく逃亡生活を余儀なくされた。1944年9月にブリュッセルがイギリス軍により解放されると、戦時中イギリス国民慰問奉仕団(ENSA)の音楽監督として活動していた英EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグ(1906~79)に見いだされ、終戦までイギリス軍のために数多くの慰問演奏を行った。1945年2月10日には海陸空軍協会の演奏会でウォルトンのヴァイオリン協奏曲のヨーロッパ初演を行っている。

(3)戦後の世界的な活躍
1945年6月1日、シマノフスキの「夜想曲とタランテラ」を皮切りに1947年まで約20曲(一部未刊行)を英EMIに録音した彼は、1949年、デュボアの後を継いでブリュッセル音楽院の教授に就任。1951年には初めてアメリカを訪れ、ボストン交響楽団の演奏会に出演。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番とラヴェルのツィガーヌを弾いて大喝采を浴びた。1953年にはオランダ・フィリップス(現在はデッカ・レーベルに吸収)と専属契約を結び、亡くなるまでにCDにして78枚分もの録音を行い、これらの録音によりイザイ、デュボア直系の「フランコ=ベルギー派」(フランスとベルギーの楽派が重なりあっているため、このように呼ばれる)のヴァイオリニスト、グリュミオーの名と芸術は世界に轟くこととなった。1954年11月7日には再発見されたパガニーニのヴァイオリン協奏曲第4番をパリにて復活蘇演。翌日には録音され、すぐさまレコードが発売され評判を呼んだ。また、1953年のプラード音楽祭でイザイやエネスコ、カザルスのピアニストを務めたことのあるルーマニア出身のクララ・ハスキル(1895~1960)と出会ったことがきっかけで、彼女と伝説的なデュオ・チームを組み、ヨーロッパ各地で数多くの演奏会を開き、その芸術的精華はフィリップスへのスタジオ録音と各地の放送局によるライヴ録音に残されている。

(4)唯一の来日、栄誉に包まれた晩年
1961年4月、第4回大阪国際フェスティバルに出演するため初来日。「羽毛のようにふっくらと柔らかい音、“楽器の女王”バイオリンを心からいつくしむような演奏」(富永壮彦氏)を絶賛された。ベルギー文化を体現する存在としての活躍が認められ、1970年には故郷ヴィレール・ペルワンの名誉村民となり、1972年にはベルギー国王ボードゥアン1世より男爵の爵位を与えられた。その後も持病の糖尿病に苦しみながら演奏や教育活動を行ったが、1986年10月16日、心臓発作によりブリュッセルで亡くなった。

(5)使用楽器と奏法の秘密
グリュミオーの使用ヴァイオリンは、デビューの頃はアメリカの銀行家から1715年製ストラディヴァリウス「ティティアン」を貸与されていたが、1957年にベルギーのルノア伯爵から貸与された1727年製ストラディヴァリウス「ジェネラル・デュポン」に切り替えた。また1971年にオランダの楽器商から1744年製のグァルネリ・デル・ジェス「ロゼ」を購入し、ストラディヴァリウスと併用していた。一方でグリュミオーの奏法で特徴的だったのは、左の二の腕から筋肉を震わせる豊かなヴィブラートである。また左指の圧力は非常に強く、かつ右手の弓も強く張り、ボウイングにも圧力をかけて弾いていたという。こうした奏法がヴァイオリンの名器をこの上なく美しく鳴り響かせ、グリュミオー独特の明確で艶やかで輝くばかりの音色を作り出していたのである。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

グリュミオーの名盤ベスト10

(1)バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全集
上記「生涯と芸術」で触れた通り、グリュミオーは大バッハと同じ日に生まれたことを、終生意識していました。1960~61年に録音された当CDは彼の唯一の「バッハ/無伴奏」全曲録音となったもの。バッハの自筆譜のファクシミリを取り寄せ、それに則って演奏、録音されています。

 

(2)モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集
グリュミオーが重要なコンサートでしばしば演奏したのがモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番とメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でした。彼は生涯で2度、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集を録音しましたが、これは1961~64年に行われた2回目のステレオ録音です。(タワーレコード限定盤はハイビット・ハイサンプリングで更に高音質でお楽しみいただけます)

 

(3)モーツァルト:弦楽五重奏曲第3&4番
グリュミオーは協奏曲やピアノとの二重奏のほか、四重奏や五重奏などの室内楽演奏も多く行いました。モーツァルトの弦楽五重奏曲は彼が残した室内楽録音で最も成功したものです。小林秀雄が「疾走する悲しみ」と評した第4番ト短調の最も美しい演奏と言えるでしょう。

 

(4)モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集(ハスキル共演/クリーン共演)
1953年から60年まで、ルーマニアの伝説的なピアニスト、クララ・ハスキルと組んだデュオ・チームは、当時のヨーロッパ楽壇の最高の呼び物でした。モーツァルトのソナタ集はLP2枚分が残されました。それから20年後、やはりモーツァルト弾きとして名高かったワルター・クリーンとは更に多くの曲数をデジタル録音しました。何れも、モーツァルトのソナタ集の最高の名盤として聴き継がれているものです。(ハスキル盤のタワーレコード限定盤はハイビット・ハイサンプリングで更に高音質でお楽しみいただけます)

 

(5)ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番
モーツァルトやベートーヴェンと同時期に活躍したヴァイオリニスト、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(1755~1824)が残した最も美しい作品が、このヴァイオリン協奏曲第22番です。ベートーヴェンやブラームスが愛好した作品として知られFM東海(現TOKYO FM)のクラシック番組のテーマ音楽としても知られました。この曲の最高の名盤がこのグリュミオー盤です。

 

(6)メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調&ニ短調
グリュミオーが重要なコンサートでモーツァルトと並んで取り上げたのがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調でした。グリュミオーは同曲を3度スタジオ録音していますが(他にライヴが数種あり)、その最後の録音がこの1972年盤です。当CDにはメンデルスゾーン若書きのニ短調協奏曲も収録され、メンデルスゾーンの早熟な天才ぶりを知る上でも恰好のCDとなっています。

 

(7)ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番&スコットランド幻想曲
ロマン派の華麗な協奏曲はグリュミオーの最も得意とするところでした。メロディーの魅力に満ちたブルッフのこの2曲は、音色の華麗さと仕上げの美しさ、気品の高さにおいて他の追随を許さないものです。テレビ朝日系「Get Sports」のエンディング・テーマに第3楽章が使われている「スコットランド幻想曲」は、当CDがグリュミオーにとって唯一の録音です。

 

(8)ラロ:スペイン交響曲/ラヴェル:ツィガーヌ/ショーソン:詩曲
グリュミオーが受け継ぐ「フランコ=ベルギー派」のヴァイオリン演奏の伝統が生んだ名作を収めたCD。楽譜に書かれたことは勿論、楽譜に書かれなかったことまでに精通したグリュミオーの録音は、演奏として美しく感動的であるとともに、無限の含蓄もあり、永遠にその価値を失うことはないでしょう。(タワーレコード限定盤のCD、及びSACDはハイビット・ハイサンプリングで更に高音質でお楽しみいただけます)

 

(9)フランク:ヴァイオリン・ソナタ
グリュミオーの師匠の師匠にあたるイザイの結婚式のために書かれた音楽で、グリュミオーの解釈、演奏は、まさにオーセンティックなものです。内容把握、音色、技術、何れも素晴らしく、(8)と同様に、後世に聴き継がれるべき名盤と言えるでしょう。

 

(10)ルクー:ヴァイオリン・ソナタ
フランクの晩年の愛弟子で、天才的な才能を持ちながら24歳で夭逝したギヨーム・ルクー(1870~94)。その若書きの迸るエネルギー、果てしない想像力を示した傑作がこのヴァイオリン・ソナタです。作曲を依頼したのはイザイ。イザイ直系のグリュミオーの演奏は、ルクー作品の世界的普及への使命感に満ち、彼の美音が炎のように燃え盛る聴きごたえのある演奏が展開されています。

 

カテゴリ : Classical

掲載: 2020年01月16日 00:00