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インタビュー

上原昌栄

沖縄ジャズの語り部・上原昌栄、75歳のアルバム・デビュー


ともかく明るくて、サービス精神旺盛な沖縄のおじいちゃん…上原昌栄さんに出会った人は、きっと誰もがそんな第一印象を受けるだろう。ところがスティックを持ち、ドラムセットの前に座ると、今度は50年を超えるキャリアを誇るジャズメン・上原が登場する。現在も沖縄県内のライブハウスを中心に演奏を続け、沖縄のジャズメン達をとりまとめる沖縄ジャズ協会では会長として活躍。そしてこの度75歳にしてデビューアルバムをリリースした。

小学生で沖縄戦を体験した上原がまず憧れた楽器はトランペットだったという。「朝礼の時に吹いているラッパがまぶしくてねえ」。ところがブラスバンドで与えられたのはトロンボーン。いつかはトランペットをという想いとともに進学し、高校3年生の頃にはトランペットを手にしてブラスバンドで大活躍。その一方で米軍クラブの演奏に参加するようになる。東京でもこの時期のジャズメン達は進駐軍キャンプ巡りの仕事があった時代だが、この時期の沖縄はアメリカの統治下。本場のジャズに一番近い位置にいたのが沖縄のジャズメンであったのは間違いないだろう。

「米軍クラブは階級によっていくつか分かれているんですね。上級士官しか入れないオフィサーズクラブ。下士官が出入りできるNCOクラブ。そして普通の兵隊さんが出入りするEMクラブ。上級のクラブだとポップスみたいなものを演奏させられるんですが、EMクラブあたりだとジャズやブルースをやってくれなんて声がかかる。クラブによってレパートリーはまちまちでしたね」

そんな彼らの生活も沖縄返還後には大きく変化した。演奏するクラブが減って、どんどん他の仕事に転職していったという。「僕もいろいろなことをやりましたねえ。でも幸いにして(沖縄の)古典音楽の教授の資格を得ることができて、教えることで生活できますから、幸せですね」と上原は何でもないことのように笑っている。

実はインタヴュー後に訪れた那覇で、上原の演奏を生で聴くことができた。年齢など全く感じさせない、迫力あるドラミングに驚かされた。〈半世紀のキャリアから滲み出る軽妙ながらに渋いプレイ〉など期待してはいけない。時には雷鳴のようにスネアを打ち鳴らし、そして時にはベルベットのようなブラシプレイで聴衆を魅了する。「憧れはやっぱりジーン・クルーパですねえ」というのも納得のプレイぶり。毎週土曜日に出演する那覇のライブハウス、寓話は惜しくも昨年なくなられたピアニストの屋良文雄氏の店。アルバムには屋良に捧げる曲と、彼が好きだったという《鈴掛の径》も収録された。「彼は僕より年下だったんですけどね」このときだけは少し寂しげな表情を見せる上原だった。

さて、9月にはアルバム発売記念のコンサートが那覇で開かれる。老いて益々…ではなく、何回目かの花盛りを迎える大ベテランから若手までが勢揃いするはずだ。沖縄のジャズ。ちょっと注目したいシーンだ。

掲載: 2011年10月14日 16:07

ソース: intoxicate vol.93 (2011年8月20日発行)

interview & text : 渡部晋也