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インタビュー

渋谷毅

長年のパートナーと交わした、寡黙で美しい対話の記録

渋谷毅と川端民生のデュオアルバムが面白い。川端は、2000年7月4日に膵臓ガンで53歳で他界しているから、これはその前の音源の発掘ということにな る。一昨年、渋谷毅は武田和命とのカルテットの映像をDVD化していて、そこでも素晴らしい川端民生のベース演奏を楽しむことができる。普段、渋谷毅はあ まり過去にこだわらないけど、この二つの発掘は、自分自身ではなく、武田、そして、川端民生へのこだわり、というか愛着というものだと思う。

武田コルトレーンともいわれた伝説的なテナー奏者はまだしも、川端民生の名前がどのくらい若いジャズ・ファンに伝わっているだろうか。有名なのは本田竹曠、峰厚介らのネイティブ・サンに参加した時代で、和製ジャズ・フュージョンとして人気だった。川端はこのグループでエレクトリックベースを弾いている。当時のエレベ奏者は、チョッパー奏法など当たり前に習得するものだが、川端民生は、そういう技術にまったく関心がなく、アコースティックもエレクトリックもほとんど同じように演奏した。エレベが嫌いだったわけではない。その後、渋谷毅オーケストラではエレベを弾いている。大きなアンサンブルの中でのエレベの対応力のようなものを好んでいたようだ。

川端民生は、一度も自分のグループをもったことがない。ものぐさな性格と自分でも言っていたが、どんな場所でもアンサンブルの中で自由に遊べることができる、いや、もっと言えば、遊べなければジャズは面白くないということを誰よりも実践していたからだと思う。本田竹曠、向井滋春、古澤良治郎、渋谷毅等々とたくさんのミュージシャンと共演した。ずっと影のような存在だったけれど、今もジャズの現場で川端民生の話は語り継がれている。

渋谷毅はこう言っている。「演奏しているときは気づかないんだけど、あとで聴くとすごいんだ」つまり、目立ったことはやっていない。さらにベースの魅力というか常套句的な演奏を川端は、ほとんどやらない。「そういう恥ずかしいことは、一日1回やればいいと川端は言うんだ。カッコいいことをやるのはカッコ悪いとも言ってたね」。

そうなると、どこまでも控えめ、目立つことがいやな孤独なベーシストというイメージがあるかもしれないけど、実は川端民生は、戦闘的なベース奏者だった気 がする。高校でジャズにはまり、ベースを始める。その前は野球、ラグビーとスポーツばかりやっていた。ベースはその体格から仲間からあてがわれたらしい。 当たり前に大学進学も考えていたようだが、そのままベース奏者になり、板橋文夫の誘いで札幌から東京に進出。口数少なく、いつも酒に酔っていた。個人的な記憶でも、2人だけの宴席でも川端から話を振ってくることはほとんどなかった。けれど、今、あらためて川端民生の演奏を聴くと、実はベースの革新者ではなかったかと思えてくる。聴こえない音、常識からギリギリのところを川端は打っている。そして、アンサンブルの自由を遊んでいる。技術には頓着しないが、表現には貪欲な人だった。

掲載: 2011年10月14日 12:00

ソース: intoxicate vol.93 (2011年8月20日発行)

interview & text : 青木和富