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インタビュー

由紀さおり


一枚のレコードの発見から生まれたコラボレーション


ポートランドの楽団ピンク・マルティーニが由紀さおりの'69年の発表曲《タ・ヤ・タン》をその3作目でカヴァー。その事実を彼女と縁の深い人物が知り、 楽団側に最初の共演のアプローチを行ったのが2009年初夏の事。それから本作の本格録音が実現するまでには長い「待ち時間」(3年越し)を要し、その間 に彼女は「いつになったら本当にレコーディング出来るの? と、じりじりしていた」と素直に語ってくれた。それが漸く実現する契機となったのが3.11のあの大震災と、それにより齎された偶然の余白の時間だったと 彼女から直接聞いて、僕は随分驚いてしまった。震災直後「すぐチャリティ活動を思い立った」という彼女であるが、「震災直後の混乱時期にそれは出来ない」 と判断しそれを諦め、「それならば」とこの時間を利用して、遅滞していたピンク・マルティーニとの共演話を自らの行動で前へ進めようと決断したのだそう だ。

「急にいくらなんでも無茶だ、という周囲の反対を押し切るように、強引にポートランドにまで出向き、直接直談判しにいった」という、随分お転婆な!?   行動だったようだが、なんと「その渡米時にいきなり数曲レコーデインして来ちゃった」というのだから驚きだ。

今回のコラボ作品へと繋がる偶然の、最初の機縁はピンク・マルティーニ側の由紀さおりのレコードの発見にあるわけだが、その偶然の機縁を、「運命の糸を手繰り寄せるように」確かな作品にまで結実させてしまったのは、彼女のこの情熱と果敢な行動力であったのである。その後彼女が再度ポートランドに赴き本格的なレコーディング・セッションが行われ、その録音を楽団のリーダーであるトーマス・M・ローダーデールがミックスして仕上げたのが本作である。セッションはスタジオで楽団員たちの生演奏をバックにした歌入れ形式で行われ、両者の考えや希望をその場でダイレクトに掬い上げながら行われたものだという。300曲もの候補曲の中から現場で選り抜かれて録音された曲には歌謡曲も、フォークも、ジャズも、シャンソンも含まれている。

「日本語で歌いたい」という由紀さおり側の希望に応じて、ほとんどの曲は日本語詞だが、トーマス側の申し入れによりフランス語詞の曲も含まれている(《さらば夏の日》)。きっとトーマスは『夜明けのスキャット』のアルバムで最初に出会った彼女の透明な歌声と、ジャンルの壁を楽々飛び越えてしまっている彼女のフォークロアな感覚を、今回の共演においてもきちんと記録しておきたかったのであろう。彼が由紀さおりという歌い手を、異国からの特別ゲストではなく尊敬すべき歌手として遇したという事が、この一事からも伺える。日本語の美しさや、その表現のニュアンスの豊かさ。作詞、作曲、編曲、そして演奏者に歌い手がひとつになって創り上げた音楽の豊かさや普遍性。それをもう一度僕たちに教えてくれるような本作は、きっと多くの人の心の中の、過去と現在、そして未来の時間を繋いでいってくれる事だろう。

掲載: 2011年11月10日 11:00

ソース: intoxicate vol.94(2011年10月10日)

interview & text : 鈴木智彦(タワーレコード本社)