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インタビュー

冨田勲

御年80歳にして到達した「イーハトーヴ」の情景

冨田勲の《イーハトーヴ交響曲》は、二重の意味で“イーハトーヴ的”である。まず“イーハトーヴ”に象徴される宮沢賢治の作品世界を題材にした交響曲、という意味。これは、誰でも理解できるだろう。もうひとつの意味は、少し注釈が必要だ。賢治は“イーハトーヴ”なる地名を説明する際、文学史に残る童話や小説のキャラクターや地名を引用しながら、賢治自身の「心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県」と定義した。そして冨田の《イーハトーヴ交響曲》には、音楽史に残るヴァンサン・ダンディやラフマニノフの交響曲、賢治の詩や冨田の過去の作品などが豊かに引用されている。この引用形式、それこそが“イーハトーヴ的”に他ならない。つまり《イーハトーヴ交響曲》においては、題材と形式が厳密に一致しているのである。

「(電子工学の)西澤潤一先生が東北大学の総長をなさっていた時に、先生から『賢治を題材にした音楽を書いて欲しい』と強く勧められましてね。賢治が自筆で書いた『雨ニモ負ケズ』の拡大版を先生から頂き、俄然、創作意欲も湧きました。しかし、例えば小岩井牧場で演奏するにしても、プロモーションその他で課題が多い。そうこうしているうちに10年近く経過してしまいましたが、その間も核となるアイディアはずっと温め続けていました。シンセサイザーを使うのか、オーケストラを使うのか、物理的な手段はともかく、聴衆を“音宇宙”で包み込むような作品にしたいと」

その“音宇宙”の中、冨田は引用の“星”を目印に、交響曲という“銀河鉄道”を運行していく。

「昭和20年代、まだ大学生でしたが、汽車で大館の祖父母を訪ねに行った時、岩手山に積もった雪が春になると溶け、残雪が大鷲の形に見えてくる壮大な風景を見たんです。ちょうどその頃、NHKラジオで堀内敬三さんが放送されていた『音楽の泉』という番組で、ダンディの《フランスの山人の歌による交響曲》を初めて聴きました。その時、『この曲は今、自分が見てきた岩手山の風景そのままだ』と気付いたのです。ダンディの交響曲には、フランスの山岳地帯(注:セヴェンヌ山脈)の民謡が引用されているのですが、その中にはアラビア風の旋律も含まれていて、おそらく山岳地帯に多民族が暮らしていたということなのでしょう。『そうした多民族の暮らす世界は、まさに賢治そのものだ』と、ダンディを聴いた時からずっと感じていました」

かくして、ダンディが民謡を引用して交響曲を作り上げたように、冨田はダンディの交響曲の3つの楽章のそれぞれの主題を引用して日本語の歌詞を付け、《イーハトーヴ交響曲》前半3楽章の音楽を構成していった。冨田の第2楽章《剣舞》を例に挙げると、セヴェンヌの多民族の民謡がいったん蒸発してダンディの第3楽章という“雲”になり、その“雲”が時空を越えて岩手山上空に達すると、冨田の第2楽章という新たな結晶の“雪”を降らせ、それが賢治の「原体剣舞連」や「星めぐりの歌」の詩のテキストの中に浸み込んだ後、オーケストラと合唱という“音楽の泉”から滾々(こんこん)と湧き出すのである。ところが、第3楽章《猫のレストラン(「注文の多い料理店」より)》になると、それまでの引用の“水循環”が“超自然現象”へと変化を遂げる。すなわち、山高帽をかぶって登場した初音ミクの歌う旋律――ダンディの第2楽章に由来する――が、映画『モダン・タイムス』のレストランの場面でチャップリンが歌ったデタラメ語のキャバレーソング《ティティナ》のように聴こえてくるのだ。

「終戦直後のことですが、(冨田の故郷)岡崎の映画館に、チャップリンの短編がやってきたんです。それまでチャップリンもディズニーも、敵国文化として禁じられていましたから、そのぶん、強烈な印象を受けました。今回ミクを《猫のレストラン》の“エンターテイナー”として起用するにあたっては、そのチャップリンを強く意識しています。それから第5楽章《ケンタウルス祭から南十字へ(「銀河鉄道の夜」より)》に出てくる手回しオルガンも、実はチャップリンの映画の中で聴いたものなんです」

戦中から戦後にかけての冨田の記憶の引用は、第4楽章《二百十日の夜(「風の又三郎」より)》で頂点に達する。「甘いざくろも吹き飛ばせ/酸っぱいざくろも吹き飛ばせ」とミクが歌うのは、冨田が幼少期に見た昭和15年の映画『風の又三郎』の主題歌《ドードドの唄》(杉原泰蔵作曲)なのだ。

「戦前生まれの私や(藤沢修平三部作で組んだ一歳年上の)山田洋次監督は、あの映画そのままの子供時代を過ごしていました。木登りをしたり、川に落ちたり……。あの時代、台風がやってくる、戦争がやってくるという異常な状況の中で、子供というのは妙にワクワクするものなんです。《ドードドの唄》の半音階の旋律ほど、それを見事に表現したものはありません」

自己の記憶と音楽体験を“イーハトーヴ的”に引用しながら“音宇宙”を奏でてみせた《イーハトーヴ交響曲》。御年80歳の冨田が、このようなマーラー的な交響曲を世に送り出すことになるとは、いったい誰が予想し得ただろうか? なお、今回のリリースに際しては、アンコールでミクが歌った《リボンの騎士》の主題歌も収録される。

「鉄腕アトムがまさに典型ですが、ロボットに人間のような生命を吹き込む、というのは手塚治虫さんの夢だったんです。もしも手塚さんがご健在で、今回ミクがリボンの騎士に扮して歌うことを知ったら、きっと随喜の涙を流されたはず。手塚さんにはぜひ聴いていただきたかったですね」

掲載: 2013年01月15日 11:34

ソース: intoxicate vol.101(2012年12月10日発行号)

取材・文 前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)