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インタビュー

裏方としてもシーンを彩ってきたアーバン・スタイリスト、ロビン・シックのお仕事あれこれ



いまではひとりの自作自演R&Bスターとして、セクシーで都会的な存在感を確立しているロビンながら、そのキャリアのスタートがソングライター業だったことはよく知られているだろう。初のプロ仕事はブランディの処女作(94年)に収められた“Love Is On My Side”のライティングとヴォーカル・アレンジ。当時は14歳という主役の若さが話題だったが、シックもまだ弱冠17歳だったのだ。以降はブライアン・マックナイトや3Tに曲を提供し、特に駆け出し時代のトリッキー・ステュワート&ショーン・ホールとのチームでは、カラー・ミー・バッド“Sexual Capacity”(96年)、サム・ソルター“Every Time A Car Drive By”(98年)といったスムースな佳曲を残している。99年にはウォルター・アファナシエフと組んでマーク・アンソニーに“When I Dream At Night”を書き、憧れのマイケル・ジャクソンに“Fall Again”を提供(2004年にデモ音源が公式リリース)するなど、越境する大物との絡みも増えていく。

一方、プロデュース・クレジットを獲得しはじめたのも同じ99年頃からで、NKOTBのジョーダン・ナイトが放った名ソロ作『Jordan Knight』をフル・サポートしたほか、15年来の相棒となるプロジェイと組んでクリスティーナ・アギレラの“When You Put Your Hands On Me”を手掛けたのも同年だ。ジェイとはマイアやアッシャー、レイヴン・シモーンらを手掛けている。

が、歌い手としても合体したリル・ウェイン“Shooter”(2005年)の成功は、結果的にロビン自身のアーティスト活動を軌道に乗せることとなり、裏方としての仕事は減少していく。以降も何度か絡むウェインや50セント、リック・ロス、タイガ、あるいはR・ケリーやアシャンティらの作品にシンガーとして登場する機会こそ多いものの、近年のプロデュース仕事だとジェニファー・ハドソン“Giving Myself”(2008年)が思い出される程度なのが残念ではある。もっとも、そうした意欲はコンスタントな自作に注ぎ込まれているのだろうが……。

なお、マイケルに書いた“Fall Again”は後にケニーGの作品でロビンみずから歌い直している。マイケルといえば、ロビンが“P.Y.T.”を歌っていたクインシー・ジョーンズの企画盤も思い出されるわけで、そのあたりは『Blurred Lines』と並べて聴くのがタイムリーかもしれない。 



▼関連盤を紹介。
左から、ブランディの94年作『Brandy』(Atlantic)、クリスティーナ・アギレラの99年作『Christina Aguirela』(RCA)、マイアの2000年作『Fear Of Flying』(A&M)、アッシャーの2004年作『Confessions』(LaFace)、リル・ウェインの2005年作『Tha Carter II』(Cash Money/Universal)、50セントの2007年作『Curtis』(Shady/Aftermath/Interscope)、ジェニファー・ハドソンの2008年作『Jennifer Hudson』(J)、R・ケリーの2009年作『Untitled』(Jive)、ケニーGの2010年作『Heart And Soul』(Concord)、クインシー・ジョーンズの2010年作『Q: Soul Bossa Nostra』(Interscope)、タイガの2012年作『Careless World: Rise Of The Last King』(Young Money/Cash Money/Republic)、キーシャ・コールの2012年作『Woman To Woman』(Geffen)

 

 

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2013年08月07日 17:59

更新: 2013年08月07日 17:59

ソース: bounce 357号(2013年7月25日発行)

文/出嶌孝次

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