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インタビュー

INTERVIEW(4)――同時多発的なシーンが結び付いた



同時多発的なシーンが結び付いた



――最後に、シングル自体とは別の話なんだけど、以前『UTOPIA』が出たときの取材で、ハヤシベトモノリ、中田ヤスタカ、ヒャダインっていう作曲家の名前を挙げつつ、自分はそこと通じるものがあると思うし、〈負けねえぞ〉っていう思いがあるって話してくれたと思うんですね。あれから1年半ぐらい経って、玉屋くんがでんぱ組.incをやってるってことはかなり広まったと思うし、赤い公園の津野(米咲)さんがSMAPの曲を手掛けたりとか、バンド・サイドからもいろんな要素を組み合わせるおもしろい作曲家が出てきてる。そういう状況をいまどんなふうに見てるのかを訊きたくて。

「おもしろいなって思うのは、秋葉原のカルチャーから生まれた最近流行ってる情報量の多い音楽があって、Wiennersもわりとそこといっしょにされて、みんな同じような感じで聴いてるみたいなんですけど、でも出所はまったく違ってて。たまたま音が近かっただけなんですよね。秋葉原にはアニメとかボーカロイドとかの文化があって、そこで作り上げられたのがあの形だと思うんですけど、俺はそういうのにまったく触れてきてなくて、西荻窪のワッツってライヴハウスでそれを教わったっていうか。それこそFRUITYが僕のすべてで、パンクと何かを無理やりくっつけて、1分ぐらいでワーッといくっていう、情報量が多くて、速いパンクっていうので育ってて。それがメジャーでやることになったら、同時多発的に同じようなことが起こってて、そこがたまたま結び付いた。それってすごいおもしろいなって」

――最初に話した江戸時代の音楽と現代の音楽が意外と似てたら……っていう話に通じるよね。秋葉原と西荻窪っていうのも、場所は違えどやっぱり同じ日本だし、そこで通じるものがあったのは偶然であり必然でもあるというか。

「俺、当時は西荻窪が世界の中心だと思ってて、西荻窪の西友の前で夜中の2時にビール飲みながら、〈いま、ここが世界を動かしてる〉と思ってたんですよ。たぶん、秋葉原でも同じように思ってる人がいたんだろうなって」

――きっと世界中でそう思ってる人がいて、そこにシーンが生まれていったんだろうね。

「でも、たまたまこうやって西荻窪から一歩出て、広い世界に行ったからこそ、そういうことも知ることができたんですよね」

――同時多発的にいろんな場所で同じようなことが起こってても、これまでは内々で終了してたのが、ネットによって見えやすく、繋がりやすくなったっていうことだと思う。〈ここにもあるじゃん!〉っていう、そういうワクワクするような驚きがいまの音楽をおもしろくしてるっていうか。

「でも、それぞれがちゃんと別の進化をしてるっていうのがおもしろいですよね。西荻窪もそうだったから、きっと秋葉原もそうなんじゃないかと思うんですけど、ちょっと閉鎖的なところでそういうことが起こりやすいっていうか、西荻窪も中にいたときは何でもアリな場所だと思ってたけど、外に出てみると意外と閉鎖的だった。凝り性みたいなところから突然変異が生まれた、みたいなことかなって」

――ある種の勘違いがおもしろいものを生んだりもするもんね。なおかつ、そういうなかでWiennersみたいな自由な発想を持ったバンドが外に飛び出すことで、よりいろんな繋がりが生まれてきてる。

「たぶんいまって、俺のことをアニソン超好きなやつって思ってる人、結構いると思うんですよ。それこそ、でんぱ組.incを通じて俺のことを知った人とかは。でも、俺そこは全然知らないから、〈じゃあ、何でこういう音楽なの?〉ってとこまで興味を持ってもらえるようになって、西荻窪に向かってもらえれば、秋葉原でFRUITYが超流行るかもしれないですよね(笑)。実際、いまパンクの人で秋葉原にハマってる人めちゃめちゃ多くて、やっぱり通じるものがあるんだなっていうのは思うんです。なので、僕らがもうちょっとがんばったら、どちらのシーンも、もっともっとおもしろくなるんじゃないかと思いますね」


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掲載: 2014年03月26日 18:01

更新: 2014年03月26日 18:01

インタヴュー・文/金子厚武