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【完全限定盤】“ブルックナーの使徒”ティントナー、ロンドン響とのブルックナー第5、世界初出!【超特価】

ティントナー&LSOのブルックナー第5

「演奏内容は第一級。これほど作為的でなく、自然で素朴で、作品そのものが鳴り響く感じはほかにない。テンポ設定も非常に良く、どこをとっても速すぎず遅すぎず、まさに理想的。また、ターニャ未亡人の解説(日本語)によると、このときロンドン響が初めて原典版(最初の出版は戦前)を演奏したというのも驚きだった。」
平林直哉氏批評より(「MJ無線と実験」2015年3月号Classic Review)

最晩年にNAXOSレーベルへ記念碑的なブルックナーの交響曲全集を録音し、世界のブルックナー・ファンを魅了したウィーン出身の巨匠ゲオルグ・ティントナー(1917~1999)。彼が52歳の1969年、生涯で初めてブルックナーの交響曲第5番を演奏したときの貴重な録音が日本盤タワーレコード完全限定盤として登場!


オーケストラは名門ロンドン交響楽団、BBCでの放送用スタジオ録音。ティントナーがロンドン交響楽団を指揮したのも初めてなら、ロンドン交響楽団が原典版(ハース版)でブルックナーの第5を演奏するのもこれが初めてでした。BBCが保管するオリジナル・マスターテープ(モノラル)から、ポール・ベイリーがデジタル・マスタリングしテスタメント・レーベルより発売されます。
(タワーレコード)

ティントナーはウィーン少年合唱団のメンバーとしてブルックナーの弟子、シャルクの棒でブルックナーのミサ曲を歌い、ブルックナーの音楽の洗礼を受けました。13歳で入学したウィーン国立音楽アカデミーでは作曲の神童としてマルクスに学び、同時に指揮をワインガルトナーに師事。ウィーン大学ではブルックナー研究で名高いハースとオーレルに学びました。19歳でウィーン・フォルクスオパーのアシスタント・コンダクターとなりますが、1938年にナチスがオーストリアを併合すると突然解雇されてしまいます。国外脱出を余儀なくされたティントナーは弟子の計らいでニュージランドに避難。しかし、この地でも敵国人扱いを受け、アマチュア音楽家を指導しながら養鶏場を営むような生活を強いられました。

戦後はオーストラリアの歌劇場と放送オーケストラで活動した後、1966年に南アフリカ、ケープタウン市立歌劇場の指揮者となり、翌年よりイギリスに渡りサドラーズ・ウェルズ歌劇場の補助指揮者に就任。ロンドンと周辺地域でのオペレッタの上演がきっかけとなり、メニューインとピアニストのデニス・マシューズの援助を受け、2つのBBCのスタジオ録音を確約されました。ひとつはロンドン・モーツァルト・プレイヤーズとの演奏で、もうひとつがここに発売されるロンドン交響楽団との録音(1969年9月21日)です。このロンドン交響楽団との共演は、当時の首席オーボエ奏者であったアントニー・キャムデンが1964年にニュージーランドを訪れティントナーの演奏を聴き感動したという経験を持っていたため実現したものでもありました。遂に、ティントナーはブルックナーの交響曲第5番を指揮する機会を得ました。同時に録音されたのは、1841年初版のシューマンの交響曲第4番とワーグナーの『ファウスト』序曲でした。ティントナーは「BBCは4回もリハーサルをさせてくれ、その上100ポンドというとんでもない報酬を払ってくれた!」と喜びました。

ティントナーは最初のリハーサルに自転車に乗って現れ、服装はバギーパンツという非常にカジュアルなものでした。団員のひとりが、何人かのメンバーがその姿を嘲笑していると教えてくれたそうです。しかし、録音の最終日には、楽団員たちがティントナーに大喝采を贈るまでに至りました。
(ティントナー未亡人、ターニャ執筆のライナーノーツより抄訳)

ゲオルグ・ティントナー

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2014年09月24日 19:30

更新: 2015年02月10日 14:30