早世した天才ピアニスト、アンドレ・チャイコフスキーの未発表音源~1955年ショパン・コンクール・ライヴ!
1935年11月1日、ワルシャワで生まれたアンドレ・チャイコフスキー(André Tchaikowsky、ポーランド表記はAndrzej Czajkowski)は過酷な運命を背負った芸術家でした。ユダヤ系だったため第2次世界大戦中に母方の祖母以外のすべての家族を失いました。しかし9歳だった彼はワルシャワのゲットーからこっそり連れ出され、パリへ逃れます。大戦後、母国に戻るとウッジの音楽学校に入学し、1948~50年にはパリ音楽院で名教師ラザール・レヴィ(安川加寿子、原智恵子、田中希代子の師)に師事、1950~56年にはワルシャワ音楽大学でスピナルスキーとシコルスキーに学びました。1955年のショパン・コンクールに第8位入賞、翌年のエリザベート王妃コンクールに第3位に入賞し、この年にRCAビクターと録音契約を結びます。彼はデビュー前の総仕上げをブリュッセルのステファン・アスケナーゼの元で行い、同時に作曲家を目指すためフランス、フォンテンブローのアメリカ音楽院でナディア・ブーランジェに学びました。1957年にアメリカへ演奏旅行を行い、翌年にはロンドンでデビュー、1961年11月には日本を訪れました。RCAからはライナー指揮シカゴ交響楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲第25番やピアノ・ソナタ集、ショパンの前奏曲集などをリリースしています。
彼はその後イギリス永住を決意し、ヨーロッパを中心に演奏活動を行いました。1960年代後半にはフランスEMIにバッハのゴルトベルク変奏曲、ハイドンのピアノ・ソナタ第23&49番、モーツァルトのピアノ・ソナタ第18番などを録音。同時に作曲家としての道を歩み始め、1975年にはラドゥ・ルプー独奏、ウリ・セガル指揮ロイヤル・フィルでピアノ協奏曲が初演され、彼自身も演奏を行いました。また2曲の弦楽四重奏曲はリンジー四重奏団により、クラリネット・ソナタは名手ド・ペイエにより初演されています。1982年6月26日、彼は結腸癌のためオックスフォードでわずか46年の生涯を閉じましたが、その最後の数週間は彼が長年にわたり精力をかけて取り組んだオペラ《ヴェニスの商人》最終ページのオーケストレーションに充てられました。
近年はヨーロッパで作曲家として再評価の機運が高まっており、《ヴェニスの商人》の上演や、ピアノ作品の録音などが行われるようになりました。また、ピアニストとしての陰影の深い表現力や繊細な芸術性は、スター・ピアニストたちの影に隠れてなかなか広く認識されませんでしたが、作曲家としての再評価により今回NIFC(ショパン・インスティテュート)が、1955年第5回ショパン国際ピアノ・コンクールのライヴ録音を初発売することとなりました。これを機に、かつてフランスDanteから出ていた復刻CDや米RCAへの一連の録音が再び陽の目を見ることを願いたいと思います。
(タワーレコード)
NIFC(ショパン・インスティテュート)から、1955年に行われた第5回ショパン国際ピアノ・コンクール・ライヴという貴重な録音が登場。アンジェイ・チャイコフスキ(アンドレ・チャイコフスキー/1935-1982)は、この第5回ショパン・コンクールで第8位に入賞し、ベルギーに留学、1956年のエリザベート王妃国際コンクールでは第3位に輝き、コンサート・ピアニストとして活躍。また、作曲家としての活動でも知られ、アンジェイ作曲のピアノ作品集や歌劇なども録音されているポーランドの音楽家。ヴィルトゥオーゾ・ピアニスト&作曲家として大きな期待を抱かれながら、47歳で早世してしまったアンジェイ・チャイコフスキの勇姿が刻み込まれている。
(東京エムプラス)
『アンジェイ・チャイコフスキ ~ 第5回ショパン国際ピアノ・コンクール・ライヴ』
【曲目】
ショパン:
夜想曲第16番変ホ長調 Op.55-2
即興曲第3番変ト長調 Op.51
練習曲第16番イ短調 Op.25-4
幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61
前奏曲嬰ハ短調 Op.45
練習曲第10番変イ長調 Op.10-10
マズルカ第35番ハ短調 Op.56-3
マズルカ第40番ヘ短調 Op.63-2
マズルカ第33番ロ長調 Op.56-1
スケルツォ第4番ホ長調 Op.54
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21*
【演奏】
アンジェイ・チャイコフスキ(ピアノ)
ズジスワフ・ゴルジンスキ(指揮)*、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団*
【録音】
(ライヴ):1955年2月23日、3月11日、3月18日、ワルシャワ・フィルハーモニック・コンサート・ホール
カテゴリ : ニューリリース
掲載: 2016年01月19日 16:30