「ブラタモリ」レギュラー放送復活で歓喜の声続出!タモリにまつわる数々の伝説を振り返る
これまでさまざまな番組でMCを担当してきたタレント・タモリ。2025年4月からは自身の冠番組である「ブラタモリ」のレギュラー放送復活が決まり、タモリファンおよび番組ファンから喜びの声が続出した。
お茶の間に欠かせない存在として愛されるタモリだが、実はこれまで数々の伝説を残してきた人物としても知られている。そこで今回は、タモリにまつわるさまざまなエピソードを振り返ってみよう。
●恩師との出会いから“いいとも”の伝説的なラストまで……
芸能界に入る前のタモリは、一般企業の営業職やボウリング場の支配人として働いていた。彼が地元の福岡から上京するきっかけになったのが、ジャズピアニスト・山下洋輔らが開いていた飲み会への飛び入り参加だ。
たまたま別件で訪れていた福岡のホテル内で歌舞伎のマネをし騒いでいる山下たちを見つけ、「この人たちとは気が合う」と感じたタモリ。部屋へと乱入しでたらめな外国語で喋る芸などを披露したことで、彼らに認められ上京する流れになったのだ。
タモリは上京後、偶然出会った漫画家・赤塚不二夫のもとで居候。2008年8月におこなわれた赤塚の葬儀・告別式では、これまでの感謝の気持ちを述べたあと、「私もあなたの数多くの作品のひとつです」という感動的な弔辞を披露し話題になった。
当時タモリは台本を手に持っていたが、実はすべて白紙で内容もアドリブだったとのちに判明。その理由について、前日に酒を飲んだことで台本の用意が面倒くさくなり「赤塚さんならギャグで」と考えたからだと語っている。
タモリのすごさを表すエピソードといえば、彼がMCを務めた代表的な番組である「笑っていいとも!」の最後を飾る特番も有名。2024年3月発売の書籍『「笑っていいとも!」とその時代』では、社会学者の太田省一によって当時の様子が詳しくまとめられている。
夜8時からおよそ3時間あまり放送された同番組内では、司会のタモリとゲストである明石家さんまが自由に喋っているところへ、痺れを切らしたダウンタウン、ウッチャンナンチャンの2組が乱入。さらにとんねるずや爆笑問題、ナインティナインまでが次々に登場し、テレビ史に残る豪華かつカオスな空間を作り出した。
他にも「笑っていいとも!」では多くの歴史が刻まれている。前述した『「笑っていいとも!」とその時代』を読めば、番組を通じてタモリが日本のエンタメ界へ与えてきた影響の大きさが垣間見えるだろう。ぜひ手に取って、タモリの伝説を振り返ってみてはいかがだろうか。
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掲載: 2025年01月10日 11:50