時代を彩ったスターの最期の生き方―― 人生の終わりが近づくとき、人は何を思うのか|小泉信一「スターの臨終」
人の命は、長生きしてもせいぜい100年程度。年を重ねていくたびに死期が近づくわけだが、病気や事故などで命の危機に瀕した時に、より“死”を意識するのではないだろうか。
それは我々一般人だけでなく、時代を彩ったスターたちも同じ。彼らは死を目前にして、何を思ったのか。それぞれの“最期の生き方、考え方”を深く掘り下げているのが、小泉信一の著書「スターの臨終」だ。
●浅草芸人らしい最期を望んだ「渥美清」
『男はつらいよ』の主人公・寅さんを演じた“渥美清”。彼は生前、「板橋のほうの職安脇のドブに、頭を突っ込んでいるような死に方をしたい」と語っていた。
渥美にとって板橋は、貧しかった少年時代に暮らした街。貧しいながらもラジオで放送された講談や落語を覚えて披露し、みんなを笑わせていたという。浅草芸人の多くが無名のまま終わったのに対し、誰もが知るスターになった渥美。それでも板橋時代を懐かしむかのような、“板橋のほうの職安”という表現が彼らしいと小泉は語る。
所詮、人間は孤独。ドブに頭を突っ込んで死ぬ、というのが浅草芸人らしい幕の引き方、と思っていたに違いない。 (※注)
60歳を過ぎ“がん”を告知されてからも、“寅さん”に徹し、愛し続けた渥美。最期は本人の遺言通り、家族での葬儀などをすべて終えた後に亡くなったことが明かされた。
ギリギリまで命を削り、「車寅次郎」を演じたのは俳優としての美学だろう。頑固で古風な昭和の男でもあったが、無垢な気持ちでやがて訪れる自分の死を見つめていたに違いない。 (※注)
●最期の瞬間まで女優を貫いた「川島なお美」
人間ドックで“がん”が見つかり手術を受けるも再発し、余命1年の宣告を受けた川島なお美。最後の舞台となったミュージカル『パルレ~洗濯~』では、腹水が5リットルも溜まるなか舞台に立ち続けた。降板が決まった時には「もっとできたのに……」と泣き続けたといい、すさまじい女優魂を感じさせる。
女優魂を物語るエピソードは、川島の“憧れの存在”だった女優・倍賞千恵子が葬儀で読んだ弔辞の中にもあった。川島との最後の電話で「なお美ちゃん、そんなに頑張らなくていいんだよ」と伝えた倍賞に、彼女はこう答えたという。
「千恵さん、だって私、女優だもの」「じゃあ、頑張らないように頑張って」「うん、分かった。頑張らないようにして頑張る。女優だから」 (※注)
●最期まで燃える闘魂を見せたアントニオ猪木
『炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~』。この曲を聞けばプロレスをあまり知らない人でも、燃える闘魂・アントニオ猪木を思い出すのではないだろうか。晩年は難病「心アミロイドーシス」と闘いながら、YouTubeで日常の様子を発信していた。
全盛期の雄姿からはほど遠くやせ細った姿だが、自身の姿を隠すことをしなかったのも猪木の人生美学だったのかもしれない。 (※注)
猪木といえばプロレスだけでなく、さまざまな名言も残している。「出る(闘う)前に負けること考える馬鹿がいるかよ!」も猪木らしいが、ナンバーワンはこの詩だと小泉は言う。
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ」 (※注)
猪木は、まさにこの詩のように自分の人生を突き進み、最期まで我々に“燃える闘魂”を見せてくれた。 人生とは、何があるか分からない。時に残酷に、余命を知らされることもあるだろう。しかし“最期の時”は、誰にでも訪れる。本書を通してスターの最期を深堀りしていくことで、“自身の最期の在り方”についても考えるきっかけになるかもしれない。
※注:小泉信一「スターの臨終」より
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掲載: 2025年04月21日 19:32