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インタビュー

Dawn Robinson

あのグループとあのトリオにいた、あのドーン・ロビンソンがドーンとソロ・デビュ ー!!

 もう長い間、彼女の心にはいつもモヤモヤと雲がかかっていた。それがどうだろう。最近まで彼女が住んでいたLAの青空のように、いまではスッキリ晴れ渡っている。

「そうねぇ、子供が産まれるような気分といえばいいかしら。ずっと待ち望んでいた日がついに来たっていう。ほら、卒業式が近づいてきてるみたいな……あるいはずっと待っていた新車が到着するっていうような……。もう、なんて言ったらいいのかしら、この興奮は言葉ではうまく表せないわ」。

いまは生を受けた地、サンフランシスコのベイエリアに戻り、ついに立った真の意 味でのスタート地点から開け行く道の彼方を見つめ、興奮を隠せずにいるこの女性。ずっとこのときを夢見て歩いてきた。もっと早くここに辿り着くはずだった。しかし 思いのほか、道は曲がりくねっていて、寄り道をせずにはここに着くことはできなかった。いや、寄り道という表現は正しくない。彼女自身も、その道があったからこそ現在があるのだと理解できるまでに成長したのだから。

「〈夢で終わってしまうはずだったことが、幸運にも実現した〉っていう感覚ではないのよ。そうじゃなくて、〈絶対に起こるってわかってたことが、なにかの都合で ホールドされてた〉っていう感じ。自分では必ず始めるってわかってたことだし、長い間、周りの人たちも待ち望んでくれてたことだったし。それが、いまやっと現実のものになったんだなって。確かに時間はかかったわ。でも、これが人生なのよねって 、そう思えるの」

語るはドーン・ロビンソン。90年代前半、しなやかに、華麗に、シーンに君臨していたR&Bグループ、アン・ヴォーグのメンバーだった女性だ。そのグループをみずか らの意志で離れ、98年ごろにはドクター・ドレのプロデュースのもと、ソロ・アルバ ムのレコーディングを開始したと報じられるも、それは立ち消えに。そして99年、ラファエル・サディーク、アリ・シャヒード・ムハマドとともにルーシー・パールを結 成。しかし、アルバム1枚を出した後、ここからもあっけなく脱退(というより、このユニットを期間限定と捉えていた彼女と話し合いが持たれぬまま、ユニットは別の 女性シンガーを加えての活動続行を発表した)。波乱万丈。紆余曲折。だが彼女はめ げなかった。意志をもち続けた。そしてついに、ようやく、ここに完成した初のソロ・アルバム『Dawn』。先に記した彼女の言葉は、〈初ソロ作を完成させた現在の気分 は?〉と訊いたときに溢れ出てきたものだ。

「いろいろ嫌な思いもしたわ。私がソロ・キャリアをめざすのを阻止しようとした 人も実際にいた。でも、私は物事をなるべく楽観的に捉えるようにしながら、強い精 神で頑張ったの。それもこれも、自分がアーティストとしてなにができるのか、チャレンジしたい気持ちが強かったから。だからファンの人たちにも、諦めなければ絶対に夢は叶うってことを、このアルバムで伝えたかったのよ」。

タッチ・オブ・ジャズのカルヴィン・ハギンスとアイヴァン・バリアス、オールス ター、トラヴォン・ポッツらをプロデューサーとして迎えたアルバムは、90年代調から現行のR&Bサウンド、ロック・テイストの入った曲からオーガニック・ソウル風まで、ヴァラエティーに富んだ内容だ。しかし、言葉に反して気負いや力みは感じられず、柔らかくも美しい彼女の歌声がただ染み込んでくる。それがなによりの魅力だろう。

「リラックスして自由を感じながら曲を書いたの。そして自分のソウルに耳を澄まし、自由な気持ちで表現することができた。テーマは〈自由〉。そして、強く生きるということ。私はそうやって生きてきたんだもの」。


PROFILE

サンフランシスコ出身。4人組の女性グループ、ヴォーグの一員としてフォスター&マ ッケルロイのアルバム『FM2』にフィーチャーされ、89年にアン・ヴォーグとしてデ ビュー、“Hold On”などのヒットでブレイクする。96年のシングル“Don't Let Go (Love)”を最後にグループを脱退。ソロとしてアフターマスと契約するものの作品リリースには至らず。ラファエル・サディーク、アリ・シャヒード・ムハマドとともにルーシー・パールを結成し、2000年にアルバム『Lucy Pearl』を発表。2001年にグ ループを脱退し、このたび初のソロ・アルバム『Dawn』をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年05月09日 13:00

更新: 2003年03月07日 18:07

ソース: 『bounce』 228号(2001/12/25)

文/内本順一