ART-SCHOOL
あれはたしか2000年7月ごろのことだったと思う。当時、まだ22歳だった木下理樹の歌う〈世界への絶望と訣別〉が、極めて本気なんだということに気付かされた、東京・下北沢でのライヴ・イヴェント。ART-SCHOOL――事前にスタッフからいただいたデモテープには“サンデイ・ドライバー”“ニーナの為に”“OUTSIDER”という(いま思えば、彼らの楽曲の中でも極めてポップな一面だったと言える)3曲のみが収められていたが、実際の彼らはそれよりも遥かにタフで、遥かにネガティヴ。この世の無意味さ、残酷さを暴くためならみずから〈死〉に身を投じてもいいというような、ある種、殺気だった私情をその身に纏っていたのが非常に印象的だった。その後、彼らはミニ・アルバム『SONIC DEAD KIDS』でCDデビュー。一躍、その名をシーンに知らしめ、『MEAN STREET』『シャーロットe.p.』……いくつもの秀作を世に送り出していくこととなる。
「いまはね、主流が青春パンクだったりするじゃないですか。でも、僕らは90年代にアメリカでグランジ・ムーヴメントが起こって、そこですべての流れがひっくり返ったみたいに、日本にも〈いまの主流じゃない形〉の流れが来ると思ってて。たとえばモーサム・トーンベンダーとかSyrup16gとか、そういう新しい流れ、新しい価値観を持ったバンドのひとつでありたいなと思うんですよ。だから、挑発したいという気持ちがあって、やっぱりバンドとしては〈負〉っていうかダークネス……セックスだったり、死ぬことだったり、人を殺したいと思う殺気だったり、そういうものを表現してポピュラリティーを得たいと思うんですよ。そういうものを暴きたい、いまの主流を否定したいという……それは常にありますけどね」(木下理樹:以下同)。
おそらくART-SCHOOLが誓っているのは、本来の意味における〈オルタナティヴ〉への純然たる忠誠なのだ。木下がもっともフェイヴァリットとするニルヴァーナがそうであったように、彼らもまた、世の中が覆い隠さんとする〈負の感情〉をヘヴィーなサウンドと共に一気に吐き出す。もちろん、このたびリリースされるファースト・フル・アルバム『Requiem for Innocence』も、一貫してスタンスは同じ。
「そういえばクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのメンバーが〈芸術家は自分の芸術にしか忠誠を誓ってないから、ほかには何も信じられないし、信じちゃいけないもんなんだよ〉って言ってて、すごくわかるなあって。僕も人は普通に好きだし、セックスもするけど、でも、芸術ってやっぱり人間じゃない人の棲む世界のモノなわけで、そういう意味ではすごく人に対して冷めてるところはあるかも。いわゆる、人を信じる、信じないというところではね」。
たとえば最近、木下が読んで「感覚がちょっと近いな、と思った」と言う、小説「GOTH」(乙一・著)。そこでは、他人と交わる煩わしさを嫌いながらも、人の心の闇に強く惹かれ、それがゆえに猟奇的事件を追い求めていくという2人の高校生男女が描かれている。加害者と被害者、殺す者と殺される者、暴く者と暴かれる者――その紙一重のところにカチャリとハマる心理符号は、なるほど、木下の歌う世界のそれにも確かに似ている。
「僕自身、相当もがいてますからね。すごく手を伸ばしたい一方で、芸術ではなくなるんじゃないかという不安……だからすごく難しいんですよ。どっちを向いても出口なし、八方塞がりな感じがあって。ただ、嫌なことも全部そのまま、剥き出しのまま血まみれのままでいいじゃない?って。だって、そこでこそ僕は愛されたいと思いますしね。だから聴いてくれる人にも1対1で対峙したいし、1対1で聴いて欲しい。そう思いますね」。
カート・コバーンの死から8年。ART-SCHOOLは、あの〈終わり〉をいま、〈始まり〉へと変えていくようなバンドになるのかもしれない。
PROFILE
ソロ・アーティストとして活動していた木下理樹(ヴォーカル/ギター)が、バンド形態での活動に移行するため、当時のサポート・メンバーであった日向秀和(ベース)、櫻井雄一(ドラムス)、友人の紹介で知り合った大山純(ギター)と共に、2000年3月結成。下北沢を中心にライヴ活動を開始し、同年9月にミニ・アルバム『SONIC DEAD KIDS』、翌2001年4月にミニ・アルバム『MEAN STREET』、9月にシングル“MISS WORLD”、2002年4月にミニ・アルバム『シャーロットe.p.』と、リリースを重ねるごとに認知度と評価を高めていく。先ごろリリースされたシングル“DIVA”に続き、このたび待望のファースト・フル・アルバム『Requiem for Innocence』(東芝EMI)がリリースされる。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2002年12月05日 10:00
更新: 2003年02月07日 15:14
ソース: 『bounce』 238号(2002/11/25)
文/なかしまさおり