インタビュー

Amy-N-Ryoo


「友達に〈歌いたいっていう子がいる〉って紹介されて、カラオケで歌いまくり(笑)」(Ryoo)意気投合したという、横須賀を共に地元とする女子二人がこのAmy-N-Ryoo。彼女たちがどれほど息の合った二人かは、終始笑いが絶えなかった取材でわかりすぎるほど。99年冬にグループ結成以来、湘南に活動の拠を置き、大阪でも現場での修行を重ねるなどしていまに辿りついたという二人だが、音楽の嗜好性はそれぞれにかなり広い様子で。

「メインがヒップホップで、あとはロックとかスカ。最近ではマヌー・チャオとか」(Amy)。

「とくにこれっていうのはなくて、トータルに入ってくるものを聴いてましたけど、そんなかで自然に楽しくなる音はサンバとか南米の音で。あとはマイアミ系のもの(ベース)はほんと好き。夏はそれがあったら何もいらないってぐらい」(Ryoo)。

 一見共通点の見られない各自の嗜好だけど、「車ん中でレッチリを大声で歌ったりとか、ピンポイントでおかしなところが合ってる」(Amy)んだそう。そんな二人のデビューは2001年6月。ファースト・シングル“妖艶”と、続く2002年10月リリースのセカンド・シングル“mama”が相次いで沖縄でブレイクを果たすという運に恵まれ、誰よりもびっくりしたのは当人たちだったようだ。いわく、沖縄の地に「行ってビックリ、歌ってビックリ」(Ryoo)。その幸運を手に、完成させたファースト・アルバムに付けられたタイトルは『Ninjo』。そう、義理なんとかのあれです。ちょっと照れくさいようなタイトルの真意を訪ねると、返ってきたのはこんな言葉。

「ここまで来たのも人情があったからだし、人情があったから出来た作品だと思って自分たちでは納得してるから」(Amy)。

 アルバムに収められた楽曲は11曲。二人の音楽的嗜好を反映するように、アコギをバックにしっとりと歌モノも聴かせれば、“Shake Booty”というタイトルそのままに快活なベースものや、開放感あるアップテンポのチューンあり、ナイヤビンギ風の簡素なバックに情感を強く込めた曲ありと、楽曲の示す方向はいろいろだ。

「歌のカラーがその時その時で全然違うような11曲にしたかった。だから奇想天外な音や内容をもってきたんですけど」(Ryoo)。

 そのヴァラエティーある作りは、二人のやりたいことがいろいろあるということをはっきり表している。彼女たちは自分たちの世界を一つのところに定めてはいない。

「ファースト・シングルの時はレゲエのなかのトップになろうって思ってたけど、徐々に視野が広がってきて、好きなことやろうって」(Amy)。

「やりたいことはどんどん変わるじゃないですか、成長するたびに。だからその時その時ベストのものを追求して
いこうっていうことです」(Amy)。

 Ryooはこのアルバムを一言で「二人のわがままな部分」と評した。〈わがまま〉を〈わがまま〉としてそのまま出せるのも、結局彼女たちが自分たちの音楽に、そして自分自身に自信を持ってるからだろう。

「リスナーのことは考えてない。自分たちがいいと思ったら周りもいいと思うはずって勝手に思っちゃう」(Amy)。

『Ninjo』がそうであるように、今後も二人のやりたいことはいろんな方向へと向かうに違いない。それがいったいどうなるかは、二人の口からこぼれでた言葉をヒントにしよう。

「ギター、長唄、あと打ち込みのロックをやってみたい。わからない世界が好きなんです。だからこれからどうなっていくのかもわからないし」(Amy)。

「子供心に返って、おもちゃ箱を開けるような感覚で聴いてもらえるようなアルバムが作れたらいいなと思います」(Ryoo)。

PROFILE

横須賀のレゲエ・クルーを介して、それぞれクラブで遊んでいたAmyとRyooが出会い、99年に結成。活動の拠点を横浜・湘南に置きながら、2000年からは、大阪のクラブなどで修行を重ね、麻波25、CORN HEAD、Rude boy faceらとも共演。2001年にリリースされたファースト・シングル“妖艶”が沖縄を中心に口コミだけでヒットを記録して話題となり、続く2002年のセカンド・シングル“mama”リリース後も、みずからが主催したイヴェント、数々のフェスティヴァルへの出演などをとおしてその存在感を大きくしていく。そしてこのたび、待望のファースト・アルバム『Ninjo』(ブロー・ウィンド)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年01月09日 10:00

更新: 2003年01月22日 13:27

ソース: 『bounce』 239号(2002/12/25)

文/一ノ木裕之