インタビュー

world's end girlfriend

テクノ界の奇才が創出する、衝撃のサード・アルバムが完成! 新プロジェクトも同時リリース!


world's end girlfriendの新作『dream's end come true』に耳を傾けていると、エイフェックス・ツインの『Richard D. James Album』を初めて聴いた時にも似た衝撃と興奮が、鮮やかに蘇ってくる。

一般に、匿名的でアーティストのエゴが表に出てこないとされるテクノの領域にあって、world's end girlfriendの表現は、エイフェックス・ツイン同様、強烈にパーソナルで記名的だ。まるで、妄想にまみれたみずからの脳味噌を開陳しているかのような、いびつな感覚。そこで思ったのが、world's end girlfriendは、テクノ・アーティストというよりは、アコースティック・ギターをエレクトロニクスに持ち替えた、いわば今様のシンガー・ソングライターなのではないか?ということ。

「そうですね。風景とか映像が自分のなかではっきり見えていて、それを音楽に変換する。その手段として、たまたまおもしろい機材があったからそれを使ってるだけであって、ジャンルとしてのテクノ自体には思い入れはないんです。コンピュータがなくなったらなくなったで困らないし、ピアノとギターだけでも音楽は作れると思う。エレクトロニカですか? 聴くことは聴くけど、最近のはきちっと整理整頓されている感じがしちゃって……。自分はもっとごちゃごちゃしたもののほうが好きだから。だから、ごちゃごちゃした森の中を蜘の巣にひっかかったりしながら歩いたりするのが楽しいんですよ。音楽にしても、雑然としたものを、まとめずに出してもいいっていう感覚がある」、と彼は語る。

確かにこの新作は、七尾旅人の呟きとも歌ともつかぬヴォーカルや、ゲスト奏者によるチェロやヴァイオリンやサックスが雑然と配置された、全面鏡ばりの迷宮のような様相を呈している。そしてそこには、美しいメロディーと醜悪なノイズ、現実とファンタジーといった、相反・矛盾すると思われがちなふたつの要素が、ひとつの空間に同居しているのだ。まるで分裂症の世界……。

「いろんなことが自分のなかで二重に進んでいる感じがあるんですよ。例えば、生が終わって死が始まるんじゃなくて、どちらも一緒に進んでいて、生が終われば死も終わる。あと、現実と夢っていうのもふたつでひとつだと思う。夢があるためには現実が必要で、現実がなければ夢は夢にならないわけだし。そういう風に大抵の物は何か繋がっていると思う」。

新プロジェクト、wonderland falling yesterdayでのアルバム『enchanted landscape escape』も同発されたが、こちらは、エリック・サティなども思わせる、ミニマルで現代音楽寄りの作風。本人いわく、『dream's end come true』とは対をなす構造になっているという。実際、ラストを飾るのは両作とも、「Goodbye!」という言葉の残酷な響き。プロセスこそ違えど、終着点はひとつ、というわけだ。ひとつの終末に向かって進む、あまりにも甘美なふたつのサウンドトラックが、ここにはある。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年01月23日 17:00

更新: 2003年02月13日 11:55

ソース: 『bounce』 239号(2002/12/25)

文/土佐 有明