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インタビュー

t.A.T.u.


〈彼女の言ったいろんなことが頭の中を駆け回る〉と歌う少女たちの叫びのようなコーラスが、一度聴いたら耳から離れなくなって、文字どおりいつまでも頭の中を駆け回る──そんな中毒性のあるシングル“All The Things She Said”を世界中で大ヒットさせたのがt.A.T.u.(タトゥー)だ。ロシアのモスクワから登場した黒髪のジュリアと赤毛のレナは共に現在18歳。制服に身を包んだ2人は、まさに清楚で無邪気な乙女そのもの。なんだけど、やけに仲がいい。この曲のプロモ・クリップでは、冷たい周囲の視線をよそに雨の中で熱い抱擁、そしてキス――えっ、そ、それって……!?

「会った瞬間から、お互いにピンとくるものがあったの。最初はただの友達だったけど、それから2人の関係はもう少し親密なものに変わっていったの。愛が芽生えたのよ」と語るのはレナ。まったく臆することなく、ジュリアとの関係をオープンにしている。

 2人が出会ったのは、ネポセディというロシアの子供だけのポップ・グループで、わずか11歳のときだったという。しかし、おませでいたずらっ子のジュリアが「ほかのメンバーに悪影響を与えるから」と脱退させられてしまい、2人が再会するのは99年におこなわれた女の子バンドのオーディション。

「500人ぐらい女の子が集まっていたわ。私たちはその中から選ばれたの。歌がうま
かったからよ」(レナ)。

 2人とも音楽学校で正式な教育を受け、クラシック・ピアノを本格的に習っており、なるほど普通のアイドルの水準より歌唱力はぐっと高いわけだ。

 2人の仲の良さを見てt.A.T.u.のコンセプトを思いついたのはロシア人プロデューサーのイワン・シャポハロフ。最初は彼が仕掛け人で、女の子同士のカップルを仕立て上げたという噂も飛んだが、彼女たちは「私たちのことをちゃんと理解しているし、私たちが私たちでいることを認めてくれる人」と絶大な信頼を寄せている。デビュー・アルバム『200Km/h In The Wrong Lane』についても、レナは「歌はすべて私たち自身のストーリー。私とジュリアはアーティスト。そしてシャポハロフは私たちのプロデューサー。このアルバムは私たちの夢の実現なのよ」とキッパリ。

 アルバムに収められたほとんどの歌は禁じられた恋をテーマにしたものだが、1曲だけ異彩を放つのが、スミス“How Soon Is Now?”のカヴァーだ。t.A.T.u.は青春の満たされぬ思いを見事に歌い上げているものの、この歌を歌うようになるまでスミスを聴いたことはまったくなかったそう。

「イワンがこの歌を聴かせてくれて、私たち、やってみる価値はあるって思ったの。ハッキリ言って、このグループのことってそれまで全然知らなかったのよね」(ジュリア)。

 いままでのティーンズ・ポップとはまったく違って、t.A.T.u.の歌には悲痛でリアルな響きがある。彼女たち自身が、親からなかなか理解を得られずに苦しんだ経験があるからだろう。

「親は最初、〈どうして女の子といっしょなの?〉って疑問をぶつけてきた。今では〈あなたたちが決めることだから好きにしなさい〉って言ってくれるけど、多くのティーンエイジャーは親の理解を得られないってことで悩んでいるんだと思う。世界中の人たちに私たちの歌を聴いてもらいたいわ。どこにいたってティーンエイジャーの抱えてる悩みは同じだと思うから」(レナ)。

 だからこそ彼女たちの歌を楽しむには、性別も、同性が好きか異性が好きかということも関係がないのだ。

「誰でも私たちの歌に自分を重ね合わせることができると思う。なんと批判されようと気にしないわ。ファンが私たちの音楽を理解し、愛してくれることだけを願っているの」(レナ)。

PROFILE

t.A.T.u.
84年10月4日生まれのレナと85年2月20日生まれのジュリアが、アイドル・グループ、ネポセディで知り合い、2人の仲の良さに目を付けた元児童心理学者という経歴を持つプロデューサー、イワン・シャポハロフのサポートのもと99年にグループ結成へと至る。2000年に“I've Lost My Mind”でデビュー。2002年には初めて西欧向けにリリースされた“All The Things She Said”が大ヒットを記録し話題を呼んだ。2001年に本国でリリースされたものを、2002年10月にトレヴァー・ホーンをプロデューサーに迎え、再制作されたインターナショナル・デビュー・アルバム『200Km/h In The Wrong Lane』(Interscope/ユニバーサル)を発表。このたびその日本盤がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年04月03日 12:00

更新: 2003年04月14日 22:28

ソース: 『bounce』 241号(2003/3/25)

文/沼崎 敦子