インタビュー

曽我部恵一

9か月ぶりとなるニュー・アルバム『瞬間と永遠』のなかに漲る〈外へと向かっていくパワー〉


 ポップ・ミュージックが他のアート・フォームより優れているのは……〈手に入りやすいこと〉――曽我部恵一のセカンド・アルバム『瞬間と永遠』を聴いたとき、とあるアーティストの回答を思い出した。絵画などに比べて安価であり、とんでもない田舎でもない限り、大人でも子供でも手に入れようと思えばすぐに手に入れることができるもの。そして、理解しようとして理解する以前に(手にした人にとって)善し悪しのわかるもの――ポップ・ミュージック本来の在り方を再確認させられた思いが……。

「〈こだわり〉はいいんだけど、ヘンなこだわりはやめようっていうのがあって。聴く人にとってすごく重要なことであればいいけど、それは関係なかったりするじゃん。アレンジにしても、曲のキモが伝われば、って。たとえば、音はアナログっぽくとか、機材を古いのを使ってだとか、そういうのはいいやって。MP3とかで聴く人もいたりするわけで……そのへんはまったく寂しいとは思ってなくて、それはそういう時代だからそれで正しいわけだし、いまやMDの音がスタンダードになっているわけだから。重要なところは、曲がいいフィーリングを持っているかどうかってこと」。

『瞬間と永遠』には、いい歌がいっぱい詰まっている……そこは、言うまでもなく。アルバムのコンセプトや制作中のモチベーションやらがどうあれ、出来上がる作品は、いつも曽我部恵一の音楽でしかあり得ない極上のメロウネスに包まれているわけで。ただ、今作に収められた楽曲のすべては、これまで以上に聴き手を選ばない音楽とでもいうか……たとえば、アルバムに先駆けてリリースされたシングル“White Tipi”がラジオで流れたときのしっくり感は、サニーデイ・サービスを含めたこれまでの楽曲にはなかった感覚が宿っていたりする。

「“魔法”(2000年7月に発表された、サニーデイ・サービスのシングル。“White Tipi”同様、メロウなハウス・チューン)はすごくいいものなんだけど、あれがなぜラジオでかからなかったかとかは、杉浦(英治。『瞬間と永遠』の共同プロデューサー)くんとかともすごく考えたところで。いまだったらラジオでかけられるものを作れるだろうっていうのがあって。“White Tipi”は実際にかかってるから、すごく良かった。そのへんはすごく成長したなって思うんだよね。ものすごくいいんだけど、その曲をラジオでかけてもらうためには、どういう要素をっていうかさ、エグい意味じゃなくって、その曲を〈外に向かわせるパワー〉っていうのがエッセンスとして必要だとは思う」。

 ただ〈いい歌〉であっても、それは聴くべき人たちすべてに伝わらない。彼自身が語るように、要は〈パワー〉を向ける方位や範囲。“White Tipi”だけならず、その向きが外へと広がった感を伝えるアルバム『瞬間と永遠』が、いままで以上にいろんな人たちによっていろんな楽しまれ方(いい意味で、ダビング、ダウンロード、着メロに至るまで)をされるような気がしてならない。

「音楽性が低いほうがいいっていうか、音楽性っていうものを信用してないんだよね、要するに。ディスコとかって、当時クズだって言われてたけど、でも、クズで踊るじゃん!みたいな。そっちのほうを信用したいというかさ。熱気とかさフィーリングがあればいいと思ってて。ブルーハーツとか好きなんだけど、音楽性だけじゃないじゃん。ブルーハーツはブルーハーツじゃん? 音楽がどうのこうの、高尚でもなんでもない。本来さあ、ポップスって生活に近いものじゃん? でも、ディスカウント・ストアみたいなのがいいってわけじゃなくて……音楽ってそう成りうるものがあるからね、とくにポップスって。コンビニのおにぎりが美味いじゃん!って言われても、機械が作ってるわけだからさあ、そこには愛はなくって。でも、音楽って違って、そこに愛がこもるわけだから、そこは大事。そこだけが大事」。

▼曽我部恵一の作品を紹介。

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掲載: 2003年06月26日 15:00

更新: 2003年07月03日 18:35

ソース: 『bounce』 244号(2003/6/25)

文/久保田 泰平