Obie Trice
ゴールドバーグじゃないが、誰もが〈Who's Next?〉と問いかけたくなるほど、どこまでも続いていきそうなシェイディ/アフターマス好景気。エミネム、D12、50セントときて、〈次〉はこのオービー・トライスだ。すでにエミネム~D12周辺にちょこちょこ客演している彼は、今年初頭の“Rap Name”が話題となってアルバムが待たれていたブライテスト・ホープ。それ以前にエミネムの大ヒット曲“Without Me”のイントロで〈Obie Trice, Real Name, No Gimmicks〉とその声がサンプリングされていたので、気に留めていた人もいるかも知れない。そもそもオービーはエミネムと同じデトロイトに生まれ、MCバトルに出入りしていた現場の叩き上げでもある。
「昔は〈スターウォーズ〉のキャラから名前をとって〈オービー・ワン〉って呼ばれてたんだけど、D12のプルーフがバトルのホストをしていて、出番が終わった俺に本名を尋ねてきたんだ。それで〈オービー・トライスだ〉って答えたら、以降それで紹介されるようになった。10年も前のことだね」。
エミネム主演の映画「8 Mile」の光景も浮かぶ話だが、オービーがバトルに明け暮れていたのはあの映画の舞台となっていた時代(95~96年)よりもさらに前のことだそうだ。
「あの時代には、俺はハスリングしてたな。ヒップホップはもちろん聴いてたけど、参加してる感じじゃなかった。ただ、その後で娘が産まれることになって、それでラップもマジメにやろうって思うようになってさ」。
時代のズレこそあれ、バトル中心の活動に自主盤のリリース、ロウカスのコンピ参加など数少ないチャンスをモノにしながら苦闘を続けてきたオービーの歩みはエミネムのそれと妙にかぶって見える(ついでに娘がいるのも同じ!)。エミネムはオービーの姿にほんの数年前の自身の姿を重ねたのかも知れない……とか書くとくだらない美談っぽいが、単にオービーにスキルがあったから、エミネムも契約を決めたのだろう。デモを耳にしたエミネムがとあるバトル会場に車で現れ、そこで車窓越しにフリースタイルを聴かせたオービーは見事シェイディ一家の仲間入りを果たす。そしてようやく今回の『Cheers』に辿り着いたわけだ。
アルバムの大半はトラックメイカーとしても力を付けているエミネムがプロデュース。さらにエミネムの師匠=ドクター・ドレーにティンバランドという現時点で世界最高のプロデューサー2人を迎えている。
「レコーディングはとてもスムーズだったし良かったよ。ティンバランドとはヒット・ファクトリーで合流して、しばらく会話した後、彼がスタジオに入っていったんだ。30分ほどして出てきた時には“Bad Bitch”のトラックが出来上がってたのさ! ドレーとは午後の3時ぐらいからスタジオに入り、一晩を費やした感じだったな。そのどれもが最高の仕上がりになったよ。俺のリリックは曲によってバラバラだけど、オンナやフッド、楽しい時間、最悪な出来事……いろいろなシットを気分によってライムするんだ。オービー・トライスのファンはD12のアルバムにまで遡って聴いてくれてる。だから、そいつらをがっかりさせないように、俺がやっとソロとして作品を出せたってことを印象づけるような良い内容にしようと思ってやってきたよ」。
エミネムや50セントのように自身のキャラ立ちにコンシャスなサーヴィス精神を見せるでもなく、彼は一本気で真摯な姿勢を隠さない。それはアルバム・タイトルの由来にも現れている。
「〈Cheers〉の意味は、俺がいまここにいることに対する祝福。いっしょに育ってきた仲間たちを何人も失ったし、奴らの命に対する祝福でもあるんだ」。
過剰なキャラクターを売りにするでもない、新しいタイプのラップ・スターが間もなく生まれようとしている。
PROFILE
オービー・トライス
デトロイト出身。ビッグ・ダディ・ケインらに影響を受け、11歳の頃からラップを始める。MCバトルを活動の主体にし、99年のファースト・シングル“Gimmie My Dat Back”など数枚のシングルをインディー・リリース。並行して〈リリシスト・ラウンジ〉などに出演し、2001年にはコンピ『Underground Airplay Version 1.0』に参加。その後、D12のビザールに渡したデモテープがエミネムの耳に留まり、シェイディと契約。D12やエミネムへの客演を経て、サントラ『8 Mile』にも参加。2003年に入ってシングル“Rap Name”“Shit Hits The Fun”を連続ヒットさせ、このたびファースト・アルバム『Cheers』(Shady/Aftermath/Interscope/ユニバーサル)をリリースしたばかり。