ゲントウキ
あぁ、これは〈歌〉のアルバムだな。イントロもそこそこに田中潤の甘やかで力強い歌声が切り込んでくる1曲目“雨上がりの朝”──まるでバート・バカラックのあとに聴いてくださいと言わんばかりのクラシカルなメロディーラインがリズミカルに踊り出したとき、そんな直感が走る。そしてその直感は、ピアノの軽快な連弾に乗せてドリーミーなファルセット・ヴォイスを放つ2曲目“素敵な、あの人。”で確信に変わる。ゲントウキのセカンド・アルバム『いつものように』は素晴らしい。
「歌はちょっとだけうまくなったんですよね。なんでなんだろう? いままではあんまり歌に重きを置いてなかったですね、やっぱり。サウンドやアレンジのほうに重きを置いてました。だからヴォーカルの力をあんまり評価してなかったっていうか、重要なものとは思ってなかったし興味もなかった。それが大きな間違いだっていうのを最近わかって」(田中潤)。
2001年リリースのファースト・アルバム『南半球』から階段を何段飛びしたのかわからんほどの成長をみせる『いつものように』。まず4行で歌詞が終わる曲をはじめ言葉数の少ない『南半球』に反して、本作は饒舌かつ物語性のある歌詞で占められており、もう歌詞カードの〈見た目〉からまったく違う。その変化にも彼らの成長の秘密が隠されている。
「『南半球』の頃って言葉遊びのような感覚で。作詞っていうのはプライヴェートなもんだったんで〈人に聴かせたい〉っていう意識は皆無に近い(笑)。すっごい殻に閉じこもってた。でも実際やってみると言葉数多いほうがやってて楽しいし人に伝わるし。いいことばっかりなんで。4行の歌詞なんか書いてもいいことまったくないですよ(笑)」(田中)。
しかし、ここまで突き抜けられると笑うしかない。もうひとつの大きな変化は格段にアップしたアレンジの自由度に表れている。ボサノヴァ、ジャズ、ソフト・ロックなどを消化した田中のソングライティングは、『南半球』時から20代とは到底思えない洗練と毒気を併せ持っていたが、本作ではそこに確かなグルーヴを与える3人の絶妙なバンド・アンサンブルが聴けるし、フルートやピアノ、パーカッションなどゲスト・ミュージシャンが添える最小限の楽器群も効果抜群(そしてそれをダイナミックに録音したミキサー、山口州治の手腕も讃えるべきだ)。
「この3人だけでなんとかしようっていう発想ではなくて。音数の制約をあまり考えずにやっていった結果でもあると思うんです。もともとのベーシックなところでかなり気に入った状態になっていて、そこに個々のプレイとかで起伏をつけるよりは、何かを重ねたほうがいいんじゃないかっていう部分もありましたし」(笹井享介)。
そしてその高度なアンサンブルの背後には、膨大な試行錯誤の影もしっかりと見ることができる。つまり玄人趣味だけで音楽をやるまいとする意志。万人に向けた血のにじむような翻訳作業を経てこそ、アンサンブルははじめて新鮮さを保つのだ。
「その作業がやりがいでもあるし、自分たちのスキルアップにも繋がると思うんです。ポップス・マニアにだけ伝わるものっていうのは頭で考えりゃ誰でもできるというか。プロとしてのスキルはいらないわけですよ。万人に伝える技術というか、そのうまさってミュージシャンにとって一番必要なものだと思うんです。……でも最初のレコーディングとか結構大変でしたけどね。じんましん出ちゃったりとか(笑)。じんましんが大変っていう」(田中)。
ポップスは、ゲントウキはそうやって成長していく。それにしても、じんましんと闘いながら作られる美しいポップス、それってなんかロックだなぁ。
PROFILE
ゲントウキ
95年、田中潤(ヴォーカル/ギター)を中心にバンドを結成。自主制作によるカセットで音源を発表しながら、地元関西でのライヴを中心とした活動を展開。2000年にはミニ・アルバム『お前の足跡』を、翌年にはファースト・フル・アルバム『南半球』を発表。田中によるソングライティングと、サウンドのクォリティー共に、各方面で高い評価を得る。カヴァー・アルバムやコンピへの参加でさらなる評価を獲得。2003年、“鈍色の季節”でメジャー・デビュー。シングル“素敵な、あの人。”をリリース。笹井享介(ドラムス)、伊藤健太(ベース)が加入した3人編成となり、このたびニュー・アルバム『いつものように』(Dreamusic)をリリースしたばかり。