インタビュー

Finley Quaye

UKの怪物、フィンリー・クウェイ。唯一無二の歌声と、先鋭的なサウンド・アプローチが見事に結実した新作『Much More Than Much Love』を発表!!



「聴いているみんながパワフルで、主導権を握り、曲についてなにか意見を言えるような曲にしたかった。フランク・リッツォとオレとでアイデアを出し合って作ったんだ。オレは曲がまとまるまで、ひたすら楽器をかき鳴らして歌いまくってただけなんだ。曲作りの基本ともいえるだろうね」。

 ニュー・アルバム、『Much More Than Much Love』に収められた“Something To Say”について語るフィンリー・クウェイ。

 レゲエはその革新性ゆえに、多くのメインストリームの音楽家たちにも大きな影響を与えてきた。たとえば、いまやメインストリームの音楽家といえるであろうマッシヴ・アタック(そして、スミス&マイティのようないくつかのブリストル派と呼ばれるようなアーティストたち)……いみじくもスミス&マイティが言ったように〈Bass Is Material〉であり、低音の響きは確かに聴き手に確証を与えるのだ。これは優れたサウンドシステムでレゲエを体験した人々なら、即座に理解してくれるところであろう。低音のそうした重要性と特徴を理解し、それを利用する以外にも、リズムとメロディーの関係を根本的に問い直すダブという手法は、日本の多くのリスナーにもお馴染みだろう。またレゲエの初期に〈トーク・オーヴァー〉と呼ばれた、現在のラップの原型ともいえる手法は、世界中のアーティストの音楽観、聴き手の音楽観を覆すような革命的なテクニックだった。レゲエが現在のようなポピュラリティーを得たのは当然であり、それは21世紀初期の音楽を彩る最大限の遺伝子プールで、子供たち──いつでも彼らは新しい音楽に飛びつき、それを広める主役である──がレゲエに夢中になったのは当然の帰結であるといえる。

 フィンリー・クウェイは、まるで次のジャミロクワイのような期待をかけられてシーンに登場した。彼の最初のアルバムは〈ポップ・レゲエ〉と呼べるようなフィールドに分類されるものだったが、トラヴェラーともいえる経歴と、複雑な生い立ちを反映するかのように、彼はアルバム・ヴァージョンとは違った、実験的なシングルをつぎつぎと発表した。そして、フィンリーはスターになった。97年、その最初のアルバム『Maverick A Strike』は全英チャート3位でデビューを飾る。「DAZED & CONFUSED」「FADER」「THE FACE」といった雑誌で表紙を飾るが、ほとんどの雑誌ではまともにインタヴューを受けていない。〈フィンリーする(キャンセルするの意)〉という言葉が英国のメディア界で流行するほど、彼は自由自在に振る舞い、しかし、ステージでは常に観客を満足させた。98年、ブリット・アウォード〈最優秀男性アーティスト〉を受賞する。一方で、マリファナ愛好者のための雑誌(と呼んでも差し支えないだろう)「HIGH TIMES」の〈ガンジャ・スモーカー・オブ・ザ・イヤー〉を受賞したり、軽いスキャンダリズムは彼にはいつも付きまとっていた。

「誰が本当にクリエイティヴなのかを知っているのは、俺だけという事実に耐えられないんだよ」。

 そして2000年、セカンド・アルバム『Vanguard』をリリースし、ジェイムズ・ブラウン、ブラック・サバス、ビートルズなどをカヴァーするあたりから、彼はレゲエの枠を超えた素晴らしい声を持ったアーティスト/シンガーとしての風格をはっきりと前面に押し出すようになる。明確なレゲエからの引用や借用はなくなり、それに変わって、より良いソングライティング、それにふさわしいサウンド・プロダクションが顕著に現れてくる。そして、その前作の延長線上とはいえるが、それを遥かに超えた、メインストリームの、聴いた誰にも届くような音楽を作り上げたのが、今回の『Much More Than Much Love』である。

「俺の仕事はコミュニケートすること、俺の職業は表現すること、そしてアーティスティックになることさ。俺はレコード会社の思惑で新しい奴らといっしょに仕事をする気はないんだ」──誰にでもお勧めできる、しかし、新しさを持った傑作、それが『Much More Than Much Love』なのだ。

▼フィンリー・クウェイのアルバムを紹介。

▼アルバム参加アーティストの作品を紹介。

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掲載: 2003年10月16日 16:00

更新: 2003年10月16日 18:14

ソース: 『bounce』 247号(2003/9/25)

文/荏開津 広