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インタビュー

ジャパハリネット


 なんたって、ファースト・アルバム『満ちて来たる日々』がロングセラーを記録し、大旋風を巻き起こしたバンドの記念すべきメジャー・デビュー。四国は松山在住、すべてが手作り、地方発ロック・ムーヴメントの新たなる旗手か!と評判のバンドである。もうちょっと、景気よくハッタリかましてもバチは当たらないと思うのだが、彼らはそういうタイプの人間たちではないのである。謙虚。地道。絶えざる自己確認。そして純粋な音楽好き。嵐のような周囲の喧騒に翻弄され、相当な難事業だったというメジャー・ファースト・アルバム『現実逃走記』が、にも関わらず、あるいはそれゆえ、いまこのときでしかありえないドキュメントとなったのはある意味〈奇跡〉だ。

「意識がありすぎて、すごいプレッシャーだった。べつに、メジャー・デビューはただの通過点のはずなんですけど、一応それがスタートラインだと思ってきたので。下にもいっぱい、上にもいっぱいいて、追うのもあるし、追われるのもある。微妙な位置ですね、いまは。良くも悪くも環境から影響を受けるんで、それがどう出るかですよね」(鹿島公行)。

「僕ね、極度のマイナス思考なんですよ。一回ドツボにハマったらもう駄目。レコーディングのときは、バイオリズムが絶望的に下がってました! みんなに悪いなぁと思いながら、アイデアもさっぱり出てこない。でもね、全部出来上がってから思ったのは、直感で勝負するしかないなっていうこと。どうせもともと、考えてもようわからんのに、必死で考えて、理論的に理解しようとしてたんですよ。そうじゃなしに、やりたいことしかやらんようにしたら、テンションがガーン!と上がった。ちょうどメジャーで、デビュー・アルバムを出すときにテンションが高いというのは、これはもう言うことないですね。最近、人生楽しいですよ!」(城戸けんじろ)。

 それは結局、極度のプラス思考なんじゃないか!?というツッコミはさておき、『現実逃走記』はこれまでのジャパハリネットの集大成である。「とりあえず、インディーのファースト・アルバムを超えるというのが絶対条件」という鹿島の言葉どおり、〈哀愁歌謡ロック〉を自称する彼ららしい等身大の楽曲が全13曲。どれも、目と目で合図をしながら演奏しているシーンが見えてくるような、ライヴな音作りがうまくハマっている。

「今回は、いままでと違って、ドラムとベースを先に決めて、それからギター。鹿島くんにギター録りのときにいてもらったんですけど、〈これでどう?〉って訊いたら〈いいんやない?〉しか言わない(笑)。自由にできました」(中田衛樹)。

「いままでは、曲を作る段階で一曲一曲見ていきよったんですけど、今回は、最初から全体が見えてた。つながりとか、似すぎないようにとか、お互いに引き立てあうとか、そういうことがうまくできました。いいヒントがみつかりましたね」(りょういち)。

 パッと聴きの印象で誤解されがちなのだが、「パンクってよくわからない」と鹿島が言うように、いわゆる日本語青春パンク系とはあきらかに一線を画す。むしろ70年代フォークや歌謡曲など、日本生まれの日本のポピュラー・ミュージックを、素直に受け止めて再生させた清々しさがある。歌詞も、日常で感じるささやかな喜び、悲しみ、矛盾、希望などを、そのまんま吐き出していて照れがない。

「結局、自問自答なんですよね。答えがない。なにかを決めつけてしまうと、そこで可能性が止まってしまうので。それは、僕の人生観ですね」(鹿島)。

「ありそうでないのが、ジャパハリネットなんで。そんな気がするんですよ」(城戸)。

『現実逃走記』というタイトルに、彼らはさまざまな意味を込めた。それを皆まで言わずとも、それぞれに感じ取って噛みしめるのが正しい。それがジャパハリネットの聴き方である。

PROFILE

ジャパハリネット
99年結成。メンバーは、城戸けんじろ(ヴォーカル)、鹿島公行(ベース)、中田衛樹(ギター)、りょういち(ドラムス)の4人。2000年夏ごろから本格的な活動を開始し、精力的なライヴ活動のほか、TVのコンテスト番組に出演してチャンピオンを獲得するなど、地元・松山を中心に注目を集めていく。2002年7月には、ファースト・アルバム『満ちて来たる日々』をリリース。ライヴ活動の範囲を広げるとともに、その人気を全国的に広めていく。2003年にリリースされたシングル“物憂げ世情”“烈の瞬”を経て、2004年1月にはシングル“哀愁交差点”でメジャー・デビューを果たす。このたび、待望のセカンド・アルバム『現実逃走記』(トイズファクトリー)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年02月26日 13:00

更新: 2004年02月26日 17:25

ソース: 『bounce』 251号(2004/2/25)

文/宮本 英夫