インタビュー

般若


  昨年の夏にリリースされたシングル“神輿”は、般若、そして彼が所属するグループ=妄走族の現在までの道程が綴られた内容になっている。無名だった彼らは、さまざまな現場に乱入し、マイクを奪うことで存在をアピールしてきた。他アーティストに対する歯に衣着せぬ発言や、力ずくでマイクを奪うといった行為に当初は眉をひそめる人間のほうが圧倒的に多かったように思う。しかし、2002年の〈BBOY PARK〉におけるMCバトルを境に般若の評価は一気に上がることとなる。ヒップホップに馴染みのない人でもエミネム主演の「8 Mile」を観た人ならわかるだろう。まさにあの即興のマイク・バトルで、100人以上の出場者のなかから勝ち上がって決勝の舞台に立ったのが般若だったのだ。

「アレに出てからけっこう変わりましたね、周りは。それはそれでムカついてるんですけど。手の平返すみたいに、そんなんで変わりやがって、って。俺はやり続けてるだけだから何も変わらないっすよ」。

 本人は周囲の声や状況の変化を「気にならない」というが、確実に般若の作品に対する〈待望感〉は高まっていた。般若のリリックやこれまでの活動キャリアを振り返ると、シーンや社会に存在する既成概念や価値観をブチ壊すような振る舞いが印象に残る。その原動力となっているのは〈怒り〉や〈苛立ち〉のように思うのだが、そのへんが特別な動機づけであるという意識はないようだ。

「そんなに意識してないんすけど、怒りっぽいと思われる。でも、ガキの頃から反骨精神があるから、その延長ですよね。(歳が)40、50になっても変わらないだろうし、立川談志みたいになってると思いますよ(笑)。常に問題は抱えているけど、それを自分のなかで消化するのがラップだし、そんなに人の文句も言いたくないけど、言わないと気が済まないから、ってとこはありますよね。頑張って大人になります(笑)」。

 さて、アルバム『おはよう日本』だ。思えば、かつてリリースされたシングル“極東エリア”でも、彼は身近に感じていた社会的違和感を曲にしていた。そういう意味では今回も日本社会を般若流に揶揄した曲もあるが、決してそれだけではない。「一枚のヒップホップ・アルバムとして、ルールに則った感じ」というメロウな“ソレならイイ”や、「半分くらい自分の弱いところとか見せてる。強がることなんか簡単なんだから」というように、哀愁さえも感じさせる覚悟と内面を歌ったような“タイムトライアル”、想像以上のハマリ具合を聴かせる刃頭制作の“羅生門”など、アルバム・サイズとなって改めて般若というアーティストの深さに気付かされる人もいるのではないだろうか。ゲストが少ないことも、ソロとして作品を出すことの意味に筋を通している。

「フィーチャリング頼むって簡単じゃないですか。頼めばできるんだから。俺は集団のなかでやってる人間だから、それは最低限でいいと思った。プロデューサーも本当にやりたい人を選ばせてもらった。あとはみんなで判断するなり評価するなりしてください、って感じですよ」。

 そして、アルバムを「サラっと重いジャブくらいにはなったんじゃないかな」と軽く言う般若。これまでの歩みについて訊ねると、「誰かのコネとかじゃ絶対上がれねえから、自分たちで頑張るしかないんじゃないですかね。最初は誰も手を貸してくれないし。自分たちが本物だったら誰か手を貸してくれるかもしれないけど」と言葉少なにこう話してくれた。

 力ずくでチャンスを勝ち取り、実力を認めさせて現在がある。近頃こういうアーティストが少ないと感じるのは筆者だけだろうか。

PROFILE

般若
96年頃から活動を開始。98年、渋谷~三軒茶屋の仲間たちと妄走族を結成し、数々のイヴェントやゲリラ・ライヴなどで頭角を表しはじめる。妄走族としては現在までに3枚のアルバムをリリースする一方、2000年のシングル“極東エリア”でソロ・デビュー。そのフリースタイルには定評があり、2002年には〈BBOY PARK〉のMCバトルで準優勝を記録している。2003年にFUTURE SHOCK FOUNDATIONより久々のソロ・シングル“神輿”をリリースし、並行してZEEBRA“GOLDEN MIC(Remix)”やDABO“おそうしき”などの客演を通じても大きな話題を集めた。このたびファースト・ソロ・アルバム『おはよう日本』(FUTURE SHOCK/ポニーキャニオン)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年03月11日 12:00

更新: 2004年03月11日 18:52

ソース: 『bounce』 251号(2004/2/25)

文/高橋 荒太郎