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インタビュー

NELLIE McKAY


 ただ一度、雑誌のライヴ評に載っただけの19歳の少女の自作曲をめぐって、レコード会社が熾烈な争奪戦を繰り広げたこと。デビュー盤としては異例のダブル・アルバムを制作するために、アーティストみずからが3万ドルを負担し、パワー・ポイントを使った会議でコロムビアの首脳陣を説得したこと──今年の4月に20歳になったばかりのネリー・マッカイのデビューをめぐるエピソードの数々は、もはや伝説になりつつある。

 彼女の何がすれっからしのNYのリスナーを熱狂させ、ビートルズの伝説的なエンジニアであるジェフ・エメリックのような大人たちを唸らせるのか。

「私の音楽にはジャズやポップス、ティン・パン・アレー時代のスタンダード・ナンバーだけじゃなく、R&Bやヒップホップ、ゴスペル、スパニッシュやアジアン・ミュージック、ありとあらゆる要素があるの。それは私がNY育ちだからだわ」。

 オーケストラを従えてピアノを弾き、マレット系の打楽器を全部自演してアレンジに盛り込んで才気を見せた彼女の言葉には説得力がある。多彩なリズムを操り、ジャジーに歌うかと思えば次の瞬間ラップが飛び出す。

 ランバード、ヘンドリックス&ロスにドリス・デイ、ランディ・ニューマンにエミネム。彼女の作る曲を説明するためにあらゆるミュージシャンの名前が持ち出されるが、ネリーの個性はつつけば元ネタの曲が割り出せるようなヤワなものではない。怒りとユーモアに溢れた詞。ふてくされた少女のようなヴォーカル。何もかもがフレッシュだ。

「ジャズやブロードウェイって言われるとリスナーが限定されちゃうからイヤ。私のジャンルはあくまでもポップス。ビートルズみたいに折衷的でありながら、すべてをポップスにできるって素晴らしい。私もそれが目標ね」。

 ネリーの発言も〈キリストよりも有名〉と言い放ったジョン・レノン並みに過激でマスコミの話題になっている。

「Amazonで〈パッション〉のサントラの順位を抜いたことがある。それって私がジーザスより偉大ってことよね?」。

 ネリー・マッカイはロンドンで生まれ、2歳のときに舞台女優の母と共にNYのハーレムに引っ越してきた。ブリル・ビルディングに入っている店でスタンダード・ナンバーのスコアを買い漁り、名画座やTVで黄金期のハリウッド映画を観ながら育った。

「ティーンエイジャーになって引っ越して、ペンシルヴァニア州で高校に通ったときはカルチャー・ショックだった。ハリウッドのハイスクール映画みたいで地獄だったし、早く卒業したかったけど、いまはアメリカのコアの部分を知ることができて良かったと思っている」。

 卒業後、ハーレムに舞い戻った彼女の歌には痛烈なサバービア批判もあるが、「イラク戦争に行って死んでいるのはそういう生活をしている人たち」だということには痛みを覚えている。〈コーヒーのブラック〉と〈イラク〉で韻を踏む“Toto Dies”をはじめ、アルバムには〈9.11〉以降外部に過敏反応を示す米国民を皮肉ったものが多い。

「現在のアメリカの状況に、みんなストレスを感じているわ。でもその正体をはっきり見据えることができずに、悪戯にケリー批判をすればいいんだって思っている人が多いの」。

 今年、選挙権を得たばかりのネリーは言う。

「私のアルバム・タイトルについてはノラ・ジョーンズのアルバム『Come Away With Me』を茶化したことばかり言われるけど、いまの政治的状況下の気分を表したものなのよ。私から離れてよ!ってね。まあ、それで話題になったっていうボーナスが付いたからいいけど(笑)」。

PROFILE

ネリー・マッカイ
84年、ロンドン生まれ。その後アメリカに移住し、NY~ペンシルヴァニアと移り住む。中高校生のときにはジャズ・バンドやオーケストラに在籍し、ピアノやサックス、チェロなどさまざまな楽器演奏を修得する。マンハッタン音楽院に通うためNYに戻った彼女は、ソロでの演奏をイースト・ヴィレッジにて開始。2002年に行われた〈マウンテン・ヴァレー・アーツ・フェスティヴァル〉では、最優秀賞をはじめとする2冠を達成している。彼女の評判を聞きつけた多くのレコード会社が争奪戦を繰り広げるなか、2002年には現在のレーベルと契約。今年2月にはデビュー・アルバム『Get Away From Me』(Columbia/ソニー)を発表している。このたびその日本盤がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年11月18日 14:00

更新: 2004年11月18日 17:22

ソース: 『bounce』 259号(2004/10/25)

文/山崎 まどか