Bloc Party
2005年は、なんと凄まじい作品と共に幕を開けるのだろう! すでにわれわれは、2004年の〈サマソニ〉での熱い記憶と、有り余る才能とエナジーが詰め込まれた2枚のEPを手に入れている。しかしそれらは、あくまでもこれから始まる快進撃へのプロローグであり、彼らの才能の一端を垣間見ただけにすぎない。なぜならそれはこのファースト・アルバム『Silent Alarm』で、ようやくブロック・パーティーの全貌が明らかになるのだから。ここでは、彼らが生み出すサウンドをリズムとメロディーに解体し、それぞれの魅力をバンドのフロントマンであるケリー・オケレケ自身に解説してもらった。こうすることによって、さまざまな要素が複合的に絡み合った、まさにいま生まれるべくして生まれた〈時代の申し子たち〉の魅力に肉迫できると考えたからである。まずはその前に、レコーディングの流れについて訊いてみた。
「アルバム収録曲はいちばん古いもので2年前に、新しいものはスタジオ入りする3か月前に書き終えて、録音には1か月をかけたんだ。収録曲の大半はライヴで半年間ほど演奏していたから、実際にスタジオで録音する際にはアレンジや演奏法などを改めて考えながら進めた。だからそれらの楽曲は、スタジオ入りしたあとに壮大な曲へと変化していったんだ。アルバムの出来には大満足だよ!」(ケリー・オケレケ:以下同)。
それでは早速、リズムについて解説していただこう。
「3、4年前から僕はハウスなどのダンス・ミュージックやR&Bを聴くようになったんだ。R&Bはロックとは比べものにならないほど常に革新的なことを試みているし、洗練されているからね」。
確かに彼らが生み出すビートは、ロックのヘヴィーさやハウスの鋭角的なビートに加えて、R&Bの軽快なフットワークも感じさせる。それはある意味数学的ともいえる、独特のファンクネスである。
「数学的というのはおもしろい意見だね。確かに僕らの音楽にとって、ある種のアイデアやリズムのパターンは、楽曲へ規則的なものを与えるうえで重要なんだ」。
それではあの魅力的なメロディーの数々はどのようにして生まれたのだろうか。張り詰めたテンションを叙情的かつクールに押さえ込むドラマティックなメロディー。彼らが影響を受けたアーティストを訊いてみると、「僕らはスマッシング・パンプキンズやスウェード、ブラーなどのギター・ロックを聴いて育ったんだ。ほかにはトーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、プリンス、ギャング・オブ・フォーなどからも影響を受けている」との答えが。彼らが思春期を過ごした〈クール・ブリタニア〉と呼ばれる90年代の初期から中期は、同時にUSからオルタナティヴ・ロックが流れ込んできた時期でもある。さらに80年代特有のニヒルでシアトリカルなテイストを盛り込むことで、あの革新的な楽曲に結びつく。しかし彼らのサウンドはときに、ただ〈ポスト・パンク〉や〈ニューウェイヴ・リヴァイヴァル〉と呼ばれてしまうことも多い。
「正直、その括り方についてはフラストレーションを感じているよ。人々が音楽をカテゴライズしたがることについては、気にしないようにしているけどね(苦笑)」。
それでは、ケリー自身が考えるブロック・パーティーとは?
「僕らが作る音楽は(80、90年代のものより)、より洗練されて激しいものだと思う。僕らはちょうどその時代の中間くらいのものから影響を受けているんだからさ、もの悲しさがあるのと同時に感動や現実性、そして激しさへの憧れもあるんだ」。
インタヴュー後、ケリーがケミカル・ブラザーズのニュー・アルバム『Push The Button』に参加しているというニュースを聞いた。2005年は間違いなくブロック・パーティーの年になる!という僕の確信は、ますます揺るぎないものとなった。
PROFILE
ブロック・パーティー
98年にケリー・オケレケ(ヴォーカル/ギター)とラッセル・リサック(ギター)が出会い、そこにゴードン・モークス(ベース)とマット・トン(ドラムス)が加わってバンドを結成。ロンドンを拠点にライヴ活動を開始、デモテープがフランツ・フェルディナンドの手に渡ったことでデビューのきっかけを掴む。レーベル各社の争奪戦を経てV2と契約。2004年に入るとシングル“She's Hearing Voices”“Banquet”“Little Thoughts”を立て続けに発表し、日本ではミニ・アルバム『Bloc Party EP』の好セールスや〈サマソニ〉への出演などで着実にバンドの知名度を上げていく。2005年1月26日にはファースト・アルバム『Silent Alarm』(V2)を日本先行でリリースする。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2005年02月03日 13:00
更新: 2005年02月17日 18:47
ソース: 『bounce』 261号(2004/12/25)
文/冨田 明宏