Out Hud
パンクでダンス!? いやいや、ダンスでパンク!? まぁまぁ、それはさておき、アウト・ハッドはパンク魂を持ちつつダンス心も持ち合わせたバンドなのだ。初期はON-Uからの影響を強く受け(〈これぞ!という一枚〉にジュディー・ナイロン『Pal Judy』を挙げるあたり渋い!)、スライ&ロビー、ウータン・クラン、ミッシー・エリオットをフェイヴァリットに挙げ、現在拠点とするNYに移ってからはラリー・レヴァンらパラダイス・ガラージ系の初期ハウス・ミュージック、それからサイケデリックなディスコやダンスホールにもハマったという彼ら。なんとなく彼らの作品とシンクロする部分が……と思いきや、「だけど、変わらずに聴き続けているのは、ラジオでかかるようなコマーシャルなヒップホップかな」(モーリー・シュニック:以下同)。しかし、そんな自由度も彼ららしい。
話をバンド結成時に戻そう。12歳で出会ったモーリー・シュニックとフィリス・フォーブスの女の子2人は、お互いへヴィメタルにハマったことをきっかけに仲良くなり、その後14歳でパンク・バンドを組んだ。って、このままダラダラ結成秘話を話すのもナンなので、この続きはモーリーさん、お願いします。
「そのパンク・バンドが解散して、16歳のときにフィリスは生まれ育ったカリフォル二アのバークレーからサクラメントに引っ越したのよ。そして彼女がジャスティンと最初に活動を始めた。彼らは4トラック・マシーンを使って、ダブ・テープを作っていたの。それに私と、(ヤーモスというパンク・バンドをやっていて、フィリスが知り合いだった)ニック(・オファー)、タイラー(・ホープ)がゲストで参加した。そのときにみんながお互いのことを気に入って、アウト・ハッドが誕生したの。そして、私がサクラメントに越してきて、97年の初めに最初の練習をしたのよ。あ~ぁ、もう私たちも年寄りなのね」。
5人のうちの男性メンバー(ニック・オファー、ジャスティン・ヴァンダーヴォルゲン、タイラー・ホープ)が!!!のメンバーでもあることで、どうしても!!!とは比べられがち。だが、今回インタヴューに答えてくれたモーリー嬢は、いささかその質問に食傷気味の様子。とはいえ、過去には!!!とのスプリット・シングルもリリースしていたし、パンクとダンス・ミュージックを縦横無尽に行き来しちゃう点は共通のものでもある。ここで素朴な疑問。モーリーさんの考えるパンクとダンス・ミュージックの共通する部分ってどこ?
「ん~、どちらも自由なフィーリングを与えてくれるってことかな。私にとってのパンクのエキサイティングな点は、〈誰だってやればできる〉って気付かせてくれること。そういう体験は誰にとっても大事なこと。ダンス・ミュージックもそれと同じだと思うわ。ベスト・ダンサーになることじゃなくって、自分を解放して楽しむ、それに気付くことが大事。それは私にとってもとても大事だな。だって私、踊りヘタクソだし」。
新作『Let Us Never Speak Of It Again』は全体のコンセプトを持たず1曲1曲作っていったそうだが、完成した後で振り返ってみると、結果的にコンセプト=「制作当時、私たちが通過してきたすべての物事や出来事がひとつになったようなもの」が出来上がっていたらしい。前作『S.T.R.E.E.T. D.A.D』に比べてよりダンサブルな曲調が増えたのも、今作の特徴だ。より作り込まれた感も受けたのだが、〈今回のアルバムでいちばん時間をかけた部分は?〉という質問の答えを聞いて納得。そして、前作のリリースから今作の完成までに18か月かかった理由も判明しちゃいました。
「ミキシングがいちばん時間がかかる作業。このプロセスで曲がリワークされ、タイトになる。それに、民主主義的に作業を進めたかったから、何かやろうとする前にはみんなが同意しなければならなかった。メンバーが5人いるから、みんなが納得するまでに時間がかかったな」。
PROFILE
アウト・ハッド
97年、サクラメントにて複数のパンク・バンドが合流する形で結成。フィリス・フォーブス(ヴォーカル)、モーリー・シュニック(ヴォーカル/チェロ)、ニック・オファー(キーボード)、タイラー・ホープ(ベース)、ジャスティン・ヴァンダーヴォルゲン(ミキシング)の5人組。98年にレッド・アラートよりデビュー・シングル“Out Hud”を500枚限定でリリースする。その後NYに拠点を移し、DFA周辺で活動。2002年にはクランキーよりファースト・アルバム『S.T.R.E.E.T. D.A.D』を発表し、本国やヨーロッパでのライヴ・パフォーマンスも高い評価を受ける。このたびセカンド・アルバム『Let Us Never Speak Of It Again』(!k7/HOSTESS)がリリースされたばかり。