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インタビュー

THE PLATINUM PIED PIPERS


 ヒップホップを基盤とする音楽に知的でイノヴェイティヴな輝きを欲してやまないリスナーは多いだろう。しかし、そこに〈飢え〉を感じる人口は、トライブ・コールド・クエストの解散を期に、ある意味確実に増えていったのかもしれない。ここ数年そんなリスナーを導いてきたのは、ルーツ一派であり、マッドリブであり、そしてジェイ・ディー(J・ディラ)だったわけだが、ここですこぶる強力な〈次なる担い手〉が登場した。プラティナム・パイド・パイパーズ(以下PPP)は、スラム・ヴィレッジの創立メンバー(!)にも名を連ねるプロデューサーのワジードと、マルチ・プレイヤーのサディークによる新進ユニットだ。

「ある夜、ジェイ・ディーの家に行ったらクエストラヴがいてね、彼のディスクをMPCに詰まらせてしまったことがあったんだよ。ジェイ・ディーが〈もしディスクを取り出せたらそのMPCをあげるよ〉って言ったんだ。結局、俺はそのMPCを持ち帰ることができて、1週間後にジェイ・ディーの留守電に俺が作ったビートを残した。彼は〈あのシットはなんだ!〉って興奮して電話してきたよ。その後はご存知のとおりさ」(ワジード:以下同)。

 このエピソードがワジードの〈プロデュース始め〉だそう。

「サディークとはスラム・ヴィレッジのバーティンを通じてずいぶん前に知り合ってたんだ。初めは友達って感じだったけど、5年くらいしていっしょに音楽を作りはじめたんだ。俺が曲を作る時は通常、歌の部分からスタートするね。時には最後までひとりで一気に仕上げてしまう。で、その曲に生の楽器演奏が必要な場合は、サディークとかマーク・ド・クライヴローとかに連絡して、曲に恵みを与えてもらうんだ」。

 PPPはデトロイトから出発したユニットだが、ファースト・アルバム『Triple P』は、西海岸のクロスオーヴァー系クラブ・サウンドの雄=ユビキティからのリリース。このへんでピンとくる人もいそうだが、彼らが行ったヨーロッパ・ツアーの共演者には、ジャザノヴァやらジャイルズ・ピーターソンがブッキングされていたりする。アルバムにはスペイセックやサラ・クリエイティヴ・パートナーズらも参加しているし、すこぶる〈ハイブリッド志向〉なのだ。

「俺がPPPに持っている音楽的ヴィジョンは新しく革新的で、まだ未開拓な音楽のアウトプットとする、ということだね。俺はすでにヒップホップ・プロデューサーとして認知されていたけれど、このアルバムではより幅を拡げて、自分のサウンドを他のアーティストと融合させ、いままでやってきた音楽とはまったく違うものをクリエイトしたかったんだ」。

『Triple P』は優れて折衷的で、フューチャリスティックでありながら、ヒップホップやR&B/ソウルの世界にしっかり根を下ろした作品だ。各曲には新進のシンガーやMCたちが散りばめられ、盟友ジェイ・ディーもドープなトラックを提供。デトロイト・ローカルから連なる黒々とした凄みが、よりユニヴァーサルな感覚へ向かった音とも言えそうだ。また、アンプ・フィドラーやリクルースに通ずる〈ヤバさ〉も窺えると思う。

「多くのデトロイト勢とのコネクションを感じるよ。このプロジェクトにあたってインヴィンシブル、ラックス、ジーノ、ニコ・レッドにコンタクトをとった。彼らは皆とても才能があって、それぞれがまったく違う可能性を持ち込めるアーティストだからね。それに、今回は繋がれなかったけれど、セオ・パリッシュとも今後は何かでいっしょに組むつもりなんだ。もちろんデトロイト以外でも、イノヴェイティヴで他と違うことをやってる人間なら誰でも〈共振〉を感じるけどね」。

PROFILE

プラティナム・パイド・パイパーズ
デトロイト出身のヒップホップ~クロスオーヴァー・ユニット。スラム・ヴィレッジの結成メンバーにしてブリング47の主宰者でもあるワジードと、バレット・ストロングに師事して音楽を学んだサディークが2000年頃に結成。ワジードがJ・ディラやドゥウェレ、ラックスらとの仕事で名を上げていく一方で、ユニットとしてはコンピ『Rewind! 2』に提供した“Ridin' High”“Open Your Eyes”を皮切りに、数枚のシングルをリリース。前後してグレイボーイやDJ Mitsu the Beatsのリミックスも手掛けている。2004年には地元開催のイヴェント〈Movement 2004〉に出演して絶賛を浴びる。このたびファースト・アルバム『Triple P』(Ubiquity/HOSTESS)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年05月26日 11:00

更新: 2005年05月26日 20:33

ソース: 『bounce』 265号(2005/5/25)

文/池谷 修一