インタビュー

犬式


 心の底から、言いたいことが山ほどある。変えたいシステムが目の前に立ちはだかる。だから詞を書く。音楽を作る。ステージに立つ。全身全霊を込めて自己主張する。そんな、あたりまえのことをあたりまえに貫くだけで〈異端〉と呼ばれかねない、この国の情けない現状に真っ向からケンカを売る。かつてDogggystyleと名乗り、現在は犬式と名を改めた4人組がめざすのは、義務と権利との交換条件による制限された自由ではなく、完全なる魂の自由だ。ロック、レゲエ、ヒップホップなど、熱き良きレベル・ミュ
ージックを身体いっぱいに吸い込んで育った、このバンドのヴォーカリスト、三宅洋平の熱弁が冴える。

「強い音楽が〈強すぎる〉と言われちゃうのが、今の日本だと思うんですよ。弱さを見せる音楽のほうが共感されやすい。僕はそれが淋しいと思うし、若い子たちの無思考、無思想に対する危機感がある。でもオーディエンスが駄目だと言っても始まらないし、〈三宅の言うことなら聞いてみようか〉という状況を自分で作らなきゃいけない。その思いは、今回のアルバムではものすごく強いです。渋いし濃いし、キャッチーなアルバムにはしていないけど、僕としてはいろんなところにフックを設けたつもり。〈こういう音って一体何なんだ?〉って、想像力豊かに聴いてもらえると楽しめると思います」(三宅洋平:以下同)。

 タイトルは、〈世界は美しい〉……ではなくて、〈世界はビートに溢れている〉──『Life is Beatfull』。何よりもまず真摯な言葉の使い手でありたいと願う、三宅の深い思いが込められた造語である。

「いろんな意味の〈Beat〉なんですよ。前向きなビートを刻む意味もあるし、〈打ちのめされる〉という意味もある。このアルバムを作るまでの過程で、社会とか現実に〈Beat〉されたり、逆にそこに間違いなく〈Beat〉を打ち付けてきた。この2年間を凌いできたバンドのドキュメンタリー・アルバムです。これを出して清算ですね。良かったことも、悪かったことも」。

 バンドの結成に精神的な力を貸してくれたジョー・ストラマーの死、そしてかつて所属したメジャー・レーベルで共闘を誓い合った盟友ディレクターの死、2003年の〈フジロック〉で演奏予定時間を3倍もオーヴァーして制御不能の熱狂を引き起こした事件。そして、つい2か月前に女の子が生まれ、三宅が父親になったこと――。「ネガティヴなものでもポジティヴなものでも、ミュージシャンにとっては芸の肥やしですから」という彼の言葉に、迷いのようなものは一切感じられない。

「若いバンドはみんなそうだと思うんだけど、ずっと、バンド稼業は商売だと思いたくなかったんですよ。でも妊娠がわかった時くらいから、抵抗がなくなりましたね。生まれて初めて商売繁盛のお札を買いましたから(笑)。やっぱり売れたいと思った。それは、多くの人に伝わらなければ意味がないということと、俺がガキの頃に感じてたロックやレゲエやヒップホップに対する昂揚感って、満員のお客さんの前でワーッとやってる、あれなんですよ。あれがカッコいいと思ったから今やってるわけで、だったら目的をそこに置くべきだし。それで今思うのは、商売って信用じゃないですか。なのに、事務所が作ったようなイメージに乗っかってる奴なんて僕は信用できない。そういう、嘘も方便、誠実が馬鹿を見る社会の中で、こんな素っ裸の奴がいてもいい。それを愚者と呼ぶなら、愚者の存在理由もある。それが、僕にとってのロックです」。

 細かい音の説明はしない。というか、できない。これは〈犬式〉という音楽であり、決して後退しないレベル・ミュージックの強固な砦である。体感するしかないだろう。

PROFILE

犬式
99年、三宅洋平(ヴォーカル/ギター)を中心に、三根星太郎(ギター)、石黒祥司(ベース)がDogggystyleを結成。メンバーが通う大学のキャンパスでセッションを繰り返すなか、2000年、柿沼和成(ドラムス)が加入して現体制となる。その後、吉祥寺を中心にライヴ活動を開始。2002年、デビュー・シングル“犬式”と、セカンド・シングル“飛魚”を発表して知名度を上げていく。2003年、ミニ・アルバム『レゲミドリ』をメジャー・リリース。さらに注目が高まるなか、自主レーベル=provinciaを設立。2004年、新レーベル第1弾となるシングル“月桃ディスコ”を経て、正式にバンド名を〈犬式〉に改名。初のフル・アルバム『Life is Beatfull』(provincia)がリリースされたばかり。

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掲載: 2005年06月02日 12:00

更新: 2005年06月02日 18:37

ソース: 『bounce』 265号(2005/5/25)

文/宮本 英夫