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インタビュー

DA'VILLE

名曲の甘~いカヴァーから最新のジョグリン・チューンまで、歌モノだったらダヴィルにおまかせ!


 90年代中盤にジャマイカでにわかに巻き起こった〈(アーティスト・)クルー〉ブーム。エレファント・マンを輩出したスケアデム・クルーや、ゴーストも参加していたモンスター・シャック・クルーからT.O.K.にワード21、そしてヴォーカル・グループ系ではスリラー・Uらのクァルテット=L.U.S.T.に、このダヴィルのいたARP……、といったところが代表格として挙げられるだろう。

「ARPをとおして音楽への情熱が生まれたんだ。まさに興奮に満ちた日々是修行の連続だったよ。でもその前の何年かはホームレス生活だったからなにも辛いことはなかった。ARPというホームがあったおかげでがんばれたんだ。でもさすがに5人もメンバーがいたらエゴがぶつかり合うことも少なくなかった。途中からソロ活動も並行して始めていたんだけど、グループとしての活動とバッティングするようになってしまってね。それで最終的にはひとりでやっていこうと決心したんだ」。

 ダヴィルのソロとしての初ヒット曲は2001年の“All My Life”。マーシャ・グリフィスとのデュエットとなるこの曲は、ジャマイカの名門〈ペントハウス〉よりリリースされ、本国のみならずアメリカ/イギリスのレゲエ・チャートをも賑わせた。2002年にNYでの〈レゲエ・ソカ・ミュージック・アワード〉において〈ベスト・コラボレーション賞〉を受賞した同曲以降も彼はコンスタントにソロ・アーティストとしての活動を続け、2003年には“In Heaven”がふたたびワールドワイドなヒットとなった。すでにご存知の方も多いと思うが、この2曲は共にカヴァー曲(前者はカーラ・ボノフの同名曲、後者はブライアン・アダムスの“Heaven”)だったりする。ジャマイカでは古くからアメリカのポップ・ヒットをカヴァーすることが常であり、このダヴィルのセンスもなんら不思議なものではない(ほかにもアルバムにはREOスピードワゴンのカヴァーも)。ただ、彼の場合はすべてをダンスホール・マナーでアレンジするのではなく、原曲の良さをその情熱的なテナー・ヴォイスで引き立てているだけに〈カヴァーとしての完成度〉がすこぶる高いのだ。

「僕はいろんなジャンルのアーティストの作品を聴くんだ。なかでも影響を受けたのはマキシ・プリーストとマイケル・ジャクソン、そしてボブ・マーリーだね。カヴァーする時に大切にするのは、僕がその曲をどう感じ取ったかということ。フィーリング、メロディー、リリックの順で理解するんだ。そして僕が歌うとなるとどんな工夫ができるだろうってね。ブライアン・アダムスの“Heaven”は初めて聴いた時から〈歌いたい!〉と声を上げちゃったくらいだからね」。

 そんなUGAばりの初期衝動でマテリアルを増やし続けてきた彼の約5年間の集大成となるファースト・アルバムがこの『In Heaven』である。その切ない歌声をフルに活かしたミディアム・バラードから、〈Mad Instruments〉〈French Vanilla〉〈Trifecta〉〈Tunda Clap〉などのイケイケ系リディムでシング・ジェイをキメたジョグリン・チューンまで、彼のアーティストとしての振り幅は実に広い。

「ファイアハウス・クルーからファイア・リンクス、リチャード・ブラウン、ドノヴァン・ジャーメイン、フレンチー、それから日本のSUNSETなど、いろんなプロデューサーといっしょにやった曲が入ってる。もちろん全曲大好きだし誇りに思ってるよ。スプラガ・ベンツとの曲も入ってるしね。パーティー・チューン、ギャル・チューン、ガンジャ・チューンもあるけど、幼い頃に別れたっきりの母親に捧げた曲や、ゲットー・ユースを勇気づけるための曲もある。あっ、あと僕は自分のことを決してシング・ジェイだとは思ってないんだ。DJもできるシンガー。あくまでもそれを両立させたのが僕のスタイルだからね」。

 そんな彼のあったかい歌声にアナタも包まれてみてはいかが?

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年09月01日 16:00

更新: 2005年09月01日 18:42

ソース: 『bounce』 268号(2005/8/25)

文/二木 崇

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