Switchfoot
美しい自然が多く残るサンディエゴは、ブリンク・182の出身地としても有名。彼らが駆け出しの頃は地元の高校でもライヴを行なっており、観客(=生徒)の中には若き日のジョン・フォアマンもいた。時は流れ、ジョンが率いるスウィッチフットのメジャー第1弾となるアルバム『The Beautiful Letdown』は250万枚突破のビッグ・セールスを更新中。普通ならばLAで優雅な生活を送りそうなもんだが、ロックとサーフィンをこよなく愛する彼らはサンディエゴを離れる気はなく、ジョンは「毎日海に潜ってると一種の安定感が生まれるんだ」と語る。バンドのソングライターでもある彼が初めて買ったレコードはレッド・ツェッペリンの〈II〉か〈III〉で、中学生の頃はカヴァー・バンドに在籍。ポリス、エリオット・スミス、ジェイムス・テイラーからも影響を受け、子供の頃はボイラー・メイカー、ロケット・フロム・ザ・クリプト、ノー・ナイフといった地元のバンドもよく聴いたという。ただ、97年のスウィッチフット結成当時はバンド像を思い描くでもなく、大学に通いながらの趣味でしかなかった。が、趣味が本気になり、大学を中退。なにせライヴの数が尋常じゃない。次のアルバム制作に入るまでに400本はやるつもりで、過去には11日間で13本、つまりダブル・ヘッダーに挑んだこともある。彼らの音楽がパンクと呼ばれているものよりもアグレッシヴで、エモと呼ばれているものよりもエモーショナルで、メロディックと呼ばれているものよりもメロディアスなのはそういう経験がもたらしたもので、生まれ育った環境も大きく関係している。
「ここには非常に多岐に渡った音楽シーンがあるからね。だからエモーショナルで猛烈で、なおかつメロディーが核になっている曲を一枚のアルバムに入れることが許される。決まりなんてない。とくにアメリカ中を旅して、自分たちがサンディエゴに育ったことがどれだけ恵まれているかってことを実感した。ここには素晴らしい自由があるんだ」(ジョン)。
ジョンの弟でもあるティム・フォアマンは、自分たちの音楽が多くの人に受け入れられた理由についてこうも言っていた。「皆、痛みというのがどんなものかわかってる」と。痛みや悲しみを知っているからこそ前向きになれるわけで、それはアティテュードへと発展していく。
「毎朝、新聞の見出しを見るたびに〈どうしてこんなことが起きるんだ?〉と自問している。とくに今の世の中はね。時々ハッピーで脳天気な曲を耳にするけど、まったく理解できない。世界で起きていることを考えると、その曲が生まれた背景がまったく見えないんだ。だから僕が前向きな曲を歌うには、まず自分が経験した痛みを説明しなきゃいけない。そうすることでそれを乗り越えられるわけで、曲に信憑性を持たせることができる」(ジョン)。
ニュー・アルバム『Nothing Is Sound』の大半はすでにライヴでプレイしている、言い換えれば十分に研ぎ澄まされたものをジョンの自宅ガレージで録った。エッジの立った楽曲と、柔と剛を兼ね備えた歌が織り成す世界は、絶妙な曲間と相まってひとつの大きな生命体にすら思える。しかも一曲一曲が実に映像的で、例えば“We Are One Tonight”のプロモ・クリップを撮るとするならば、広大な大地に立つ彼らを空撮したいところ。ジョンが曲作りをする際もさまざまな情景が浮かんでいたに違いない。
「曲は僕にとっての乗り物なんだ。それに乗り込むことでいろんな場所に行ける。曲の世界に一歩踏み入れることで、かなり遠くまで旅することができる」(ジョン)。
世界各地、時には宇宙へと誘う旅を終え、後にはなんともいえない余韻が残った。
「リスナーにとって、一つの旅になってほしい。これは僕にとって、すべてが逆さまのこの世界で、真の人間性を取り戻す試みなんだ」(ジョン)。
PROFILE
スウィッチフット
ジョン・フォアマン(ヴォーカル/ギター)、ティム・フォアマン(ヴォーカル/ベース)、チャド・バトラー(ドラムス)、ジェローム・フォンタミラ(ギター/キーボード)、ドリュー・シャーリー(ギター)から成る5人組。97年にサンディエゴで結成。同年、ファースト・アルバム『The Legend Of Chin』をインディーでリリース。その後も着実にライヴ活動を続けて、2002年にコロムビアと契約。2003年にリリースされた4枚目のアルバム『The Beautiful Letdown』がビルボード・チャートに113週連続チャートインし、現在までに250万枚のセールスを記録。さらなる話題を集めるなか、日本デビュー作となるニュー・アルバム『Nothing Is Sound』(Epic/ソニー)を10月5日にリリースする。