インタビュー

信近エリ


「シンガーになりたい、でもどうしたらいいんだろう?ってずっと考えていて……。地方にいたので、オーディションしかないと思ったんですよね」。

 福岡に育ち、子供の頃から歌うことが大好きだったという信近エリは、こうして1本のデモテープに夢を託した。それは17歳の時だった――と、ここまではどこにでもある話だが、ここからが普通じゃない。実は「自信満々で応募した」そのデモテープには、自分の名前以外に何の連絡先も記入していなかった。この致命的なミスで元も子もなくなった……はずが、その歌声に心動かされたオーディション担当者が、〈福岡〉の消印と〈信近〉という苗字から彼女を探し出したのだ。晴れてレコード会社との契約に至った時には、大沢伸一による全面プロデュースも決定していたという。高校卒業後に上京し、準備期間を経て2004年12月にシングル“Lights”でデビューした彼女の歌声は、すでに堂々としていた。しかし、このたび完成したファースト・アルバム『nobuchikaeri』にはさらなる飛躍が記録されている。

「(以前の自分と)変わっていないところを探すのが難しいくらい変わりましたね。それまで自分のなかで思っていた〈音楽〉というものを一度壊すところからアルバムの制作が始まっているので。音楽はもちろん、ファッションの趣味まで(笑)、事細かに変わりましたね」。

 プロデューサーの大沢は、このアルバムでひとりのシンガーの可能性を完全に引き出そうとするかのようにさまざまな楽曲を提供している。それらはありきたりなJ-Popの範疇を超えているが、言ってみれば難易度の高い試みだったのではないか?

「いろいろなことへの挑戦から始まったので、そういう意味での苦労もありました。何もかもが初めてで、自分のなかに基準がないという不安もあったし。楽曲の幅広さもあって1曲1曲アプローチの仕方が違うので、歌入れひとつでも同じことの繰り返しではなく、いろんなやり方を試してみた結果、多彩な面が出たんだと思います」。

 煌めくようなサウンドのイントロで幕を開ける『nobuchikaeri』は、4つ打ちのダンス・ビートと大胆なドラム・ブレイク、信近の歌声で聴き手を絶頂へと導いていく。爆発的な展開で強いインパクトを与えるダンス・トラックや、声と詞に引き込まれるようなバラードの他、ROSSOのチバユウスケが作詞した“SING A SONG”は日本語詞とダンス・ミュージックの融合の完成形といえそうだし、本人がもっとも好きな曲に挙げる“Inner Glow”はMonday満ちるが英語詞を提供した、メロディーとコーラスが非常に美しい曲だ。さらにフロア仕様のダンス・トラック“I hear the music in my soul”(大沢のDJプレイでもお馴染みかもしれない)など、〈流行を切り取ったコンピ〉の如く多彩な内容に、彼女は真っ向から勝負した。結果、「技術的な面でいろいろチャレンジするのも好きですけど、結局は声の〈質〉を楽しんでもらえるように、すっきり歌いました」という歌声があくまでも主役となっている。また多くの曲では彼女が作詞も担当し、曲から受けるイメージや雰囲気を時に抽象的に、表情豊かに、カラフルに彩っている。

「とても純粋なアルバムができたと思います。スタートがこの作品で、ホント良かった」と言い切るのもわかるファースト・アルバムを完成させた彼女だが、「母は“鼓動”が好きみたいですよ。でも音楽の話より、私の写真がどうだとか、見た目の話ばっかりするんですよー(笑)」とニコニコしながら話す姿は、どこにでもいる20歳の女の子。そんな彼女はラッキーガールなのか、ミラクルガールなのか――それは、このアルバムがすべて答えてくれる。

PROFILE

信近エリ
85年生まれ、福岡県出身。幼少時から音楽に親しみ、歌手をめざす。17歳の時、オーディションに送ったデモテープをきっかけに大沢伸一のレーベル=FEARLESSの女性アーティスト第1弾として契約。2004年春の高校卒業後に上京し、デモ制作を開始。同年12月に大沢のプロデュースによるデビュー・シングル“Lights”をリリースし、FEARLESS主催イヴェントでのパフォーマンスも話題を呼ぶ。2005年に入って、4月の“Voice”、6月の“Sketch for Summer”、12月の“鼓動”とコンスタントにシングル・リリースを重ねて、さらなる注目を集めるなか、ファースト・アルバム『nobuchikaeri』(FEARLESS/ソニー)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年01月12日 18:00

更新: 2006年01月19日 18:28

ソース: 『bounce』 272号(2005/12/25)

文/羽切 学