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インタビュー

JIMMY EDGAR


 近年はマキシモ・パークなどロック・アクトにも手を広げているワープだが、〈インテリジェント・テクノ〉なる呼称を生んだ名コンピ〈Artificial Intelligence〉シリーズなど、もともとはデトロイト・テクノの多大なる影響下にあったもんだなあ……と回想してしまったのは、そのワープからアルバム『Color Strip』をリリースしたジミー・エドガーのせいだろう。ジャケット写真の耽美ヤサ男なルックスとは異なり、デトロイト出身の彼には、15歳の時にデトロイト三銃士(ケヴィン・サンダーソン、ホアン・アトキンス、デリック・メイ)たちとプレイしたというコアな経歴があるのだ。

「うん、あの頃は全然気付いてなかったし、地元のDJとただ遊んでるだけの感覚だったね。彼らは僕にとってはいろんな意味でのヒーローだけど、彼らとは何か違うことをやりたかったんだ。それに、あそこは僕にとってのホームだけど、凄くミステリアスで陰気な場所さ。デリック・メイやアンダーグラウンド・レジスタンスのメンバーを街で見かける?とかいつも訊かれるんだけど、答えはノーだ。僕たちはそれぞれ独自のことをやっていて、常にどこかに隠れてるんだ。いわゆる〈デトロイト・シーン〉なんてないよ。デトロイト以外の人が〈デトロイト・ミュージック〉を作ってるんだ」。

 知らぬうちに地元音楽の洗礼を受けつつも、故郷を見る目は実にクールだ。そのためか、過去には音響ミニマル実験室のオーディオNLからミショー名義で、マイアミ・エレクトロニカの殿堂たるマークからはクリストゥート・サルとモリス・ナイチンゲールの両名義で、いわゆる〈デトロイト感〉とは掛け離れた音楽性を披露していた。

「クリストゥート・サルとモリス・ナイチンゲールはデトロイト外での初リリースだった。それを期にマイアミ・シーンに興味を持って、そこでいろんなアーティストとの繋がりができたんだ。そのうちのひとつのトラックをワープが気に入って、それで僕に連絡してきたんだよ」。

 そんな経緯で制作された『Color Strip』は自己名義による初のアルバムとなる。本人が「ワープはもっとも重要な音楽をリリースする場所だと感じていたし、今回は僕自身をいちばん映し出すプロジェクトになると思ったからこの名義なんだ。このアルバムは凄くパーソナルでリアルなものだよ」と語るその内容は、デトロイト・テクノ(というかブラック・ドッグなどワープ初期のテクノ)とオールド・スクール・ヒップホップが合体したようなレトロ・フューチャーな感触が強烈なものとなっている。

「確実にたくさんの要素があると思うよ。少し時代を遡る必要があると思ったし、未来的なトーンを加える必要もあると思ったんだ。テクノとヒップホップは〈インスピレーション〉よりも〈アイデア〉なんだよ」。

 また、本人による何ともアンニュイなヴォーカルが醸し出す雰囲気はニューウェイヴ・リヴァイヴァルと同期する……わけではなさそうだ。

「ヴォーカルは即席で、リリックもフリースタイル。どちらかというと打楽器的な要素として扱って、リズムに付け加えた感じだね。僕はニューウェイヴ・リヴァイヴァルとかああいうのは大嫌いさ。オリジナルのいちばんヒドい部分をさらにヒドくしちゃってるからね」。

 そう語るエドガー、意外に生真面目なミュージシャン気質なのかと思いきや、「いまはファッションの仕事に集中したいと思ってるんだ。映像作品のためのファッションとか、新しいファッションのイメージを作るとかね。実際にデザインもやったりしていて、つい最近も6着作って、それと1日かけて3人のヘア・スタイリストの撮影もしたとこだよ」と……デトロイトの先輩たちが聞いたら青筋モンの発言も。ファッションも音楽も同列に考えるクール・ボーイが、ワープとデトロイトに新時代の到来を告げている。

PROFILE

ジミー・エドガー
デトロイト出身。10歳から音楽制作を始め、写真やデザインを学びながら創作活動を続ける。2002年にポーカー・フラットからデビュー・シングル“We Like You”をリリース。同年にはクリストゥート・サル、モリス・ナイチンゲールという複数の名義でも制作を開始し、両名義のスプリット盤として初のアルバム『My Mines I』をマークから発表。翌2003年にはミショー名義で『%20』もリリースするなど多面的な活動を展開していく。2004年にジミー・エドガーとしてワープと契約を果たし、同年のうちに『Access Rhythm』『Bounce, Make, Model』といったEPを連続リリース。このたび、本名義でのファースト・アルバム『Color Strip』(Warp/BEAT)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年03月23日 22:00

ソース: 『bounce』 273号(2006/2/25)

文/石田 靖博