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インタビュー

Hyper


 ニュー・スクール・ブレイクスのフィールドで頭角を現し、アダム・フリーランドやプログレッシヴ・ハウスの重鎮=ジョン・ディグウィードらの寵愛を受けてきたDJハイパーが、〈ハイパー〉という名義で(DJの時はDJハイパー名義のようだ)、初のオリジナル・アルバムと位置づけられる『We Control』をリリースした。その成り立ちについて、ハイパーことガイ・ハットフィールドは次のように語る。

「いままでのクラブ・ユースなトラックみたいに6分とか7分のダンス・トラックを作るよりも、シンセを中心に使ってメロディーを強く意識した曲や歌モノ、自分のいろんな要素をもっと表現できる作品を作りたいという思いがあって、このアルバムに至ったんだ」。

 アルバムは全10曲で40分。5分を超えるトラックが1曲もないという非常にコンパクトな内容になっている。また、元プロディジーのリロイ・ソーンヒル、ラッパーのワイルドチャイルドなど、多くのヴォーカリストがフィーチャーされており、起承転結のはっきりしたソング・オリエンテッドな作風が印象的だ。

「DJはいつでもできるからね。だからDJじゃできないような作品を作りたかった。あとはラジオや車で気軽に聴けるもの。例えば2分間もずっとドラムをループしているようなものは作りたくなかったんだよね。だってさ、普通の人たちが普段そういうものを好んで聴くとは思えないからさ」。

 耳を惹くのは80'sのメロディックなエッセンスと、アルバム全体に漲ったパンキッシュで荒削りな勢いのあるダイナミックなグルーヴだ。それもそのはず、そもそもハイパーのリスナーとしての原点はパンクやエクストリーム・ミュージックにあったという。

「エクストリームとかパンク、ハードコアを聴いていてね、13、14歳くらいの頃からディスコとかダンスを並行して聴きはじめたんだよ。今回の作品にはその両方の要素が反映されていると思うんだ。聴いていたバンド? う~ん、セックス・ピストルズやシャム69、ブラック・フラッグ、デッド・ケネディーズやマイナー・スレットとかかな。いろいろ聴いてたよ」。

 そんな彼のハードな側面が強く現れたのが、リード・シングルとなった“We Control”だ。聴くものを圧死させるようなギター・リフと、速射砲のように繰り出されるブレイクビーツとラップ。ハンパなロックとダンスのマッシュアップ・トラックをブッ飛ばす、文字どおりの〈キラー〉チューンとなっている。

「そうだね。いい褒め言葉だと思う。よくあるロックのエレメントが入ったダンス・トラックってさ、ホントにつまらなくて、音もクソだと思ってるんだ。自分がロックなトラックを作る時は、本物のロックのエネルギーをそこにブチ込んでいきたいと思ってた。だから、とことんハードにしようと思ったんだ。みんながファック・オフする感じっていうかさ、ドギモを抜いてやろうって思ったね。それこそポゴ・ダンスを踊らせるくらいにさ」。

 初期テクノを思わせる静謐なエレクトロ・チューン“Electro Lude”や、初期のブラーを彷彿とさせるアダム&ジ・アンツ“Ant Music”のポッピンなカヴァーなどに見られる幅広い音楽性。そしてアルバム全体を支配する荒々しいビートの心意気・・今回の『We Control』に凝縮された要素はそのまま、洗練に向かっていたニュー・スクール・ブレイクスのシーンで、ハイパーのDJプレイやトラックがなぜ求められてきたのかという理由にもなっている。

 パンキッシュなエレクトロが盛り上がり、ふたたび燃え上がりつつあるダンス・シーンに油を注ぎ込むかのような、熱きパンクスの強烈な一撃。そのワイルドなエネルギーがどのような広がりを見せていくのか、実に楽しみである。

PROFILE

ハイパー
本名ガイ・ハットフィールド。DJハイパーとして90年代後半からDJ活動を開始。2000年の『Hyper Presents Y3K』、翌年の『Bedrock Breaks : DJ Hyper』といったミックスCDで注目を集め、2002年に自身のレーベル=キロワットを設立。並行して“Catnip”や“Slapper”などのシングルをさまざまなレーベルから発表していく。2004年のミックスCD『Wired』が世界的なヒットを記録し、ポール・ヴァン・ダイクやピンク、シュガベイブスらのリミックスも手掛けている。2005年末にプロモ・カットした“We Control”が話題となり、今年3月に〈independence-D〉で来日。このたびハイパー名義でのファースト・オリジナル・アルバム『We Control』(Kilowatt/KSR)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2006年04月27日 20:00

ソース: 『bounce』 275号(2006/4/25)

文/佐藤 譲