インタビュー

ELISABETH WITHERS


  エリザベス・ウィザースは、ゲットーで獲得したタフさをウリにするようなタイプのシンガーではない。かといって、異性に媚びてしたたかに生き抜く小悪魔系キャラでも、もちろんない。彼女は、電話線の設計をしていたエンジニアの母と、何かと秘密の多い政府勤めの父、そして兄2人姉1人に囲まれて幸せに育ち、音楽の才能をアカデミックに開花させていったエリート肌のシンガーだ。

 「両親はカトリックの私立高校に私を入れたがってて、最初はそれでもいいかなって思ってたの。でもやっぱり私立には行きたくなくて。それで私立の応募期限をわざと逃して、シカゴ・アカデミー・フォー・ディ・アートに合格したのよ。奨学金も貰ったの。それからはみんなが知ってるアーティストほとんど全部のオーディションを受けまくったわ(笑)」。

 名が知られるにつれて、仕事のオファーが来るようになったエリザベスだったが、彼女はそこに留まることなく、バークリー音楽院~ニューヨーク大学へと進んでジャズやクラシックを中心とした音楽の勉強を続けたという。もちろん、実際のキャリアも着実に積んだ。

 「時間があればいつもスタジオにいたわ。コマーシャルやジングル、誰かのバック・ヴォーカルをしたりね」。

 例えば彼女はセリーヌ・ディオン&R・ケリーのヒット曲“I'm Your Angel”のコーラスに参加。ジェニファー・ロペスのツアーにもたびたび同行している。また、2002年にはハウス・クリエイターのトニー・モーランと組んでエル・パトリス名義でデビューを飾り、ダンス・シーンではちょっと知られた存在に。そうやって仕事を広げていくうちに、アシュフォード&シンプソンとの出会いが彼女を待ち受けていた。そう、ソウル界きってのおしどり夫婦として知られるあのソングライター/デュオに彼女は気に入られたのだった。

 「あるとき、ヴァレリー(・シンプソン)が私のところに来て、〈家に電話してくれない? あなたに話があるの〉って。私は〈嘘でしょ? “Ain't No Mountain High Enough”を書いたあなたが私に話があるなんて……もちろんよ!〉って」。

 このソウル界のレジェンドとの縁で、エリザベスはミュージカル版「カラー・パープル」のオーディションを受け、見事に重要な役を獲得。さらにその舞台への出演決定がブルー・ノートとの契約に繋がった。

 ジャズの老舗として知られるレーベルながら、エリザベスのファースト・アルバム『It Can Happen To Anyone』はそうした枠に縛られない音楽性を実現している。例えば、アウトキャストあたりを参照したようなロック・テイストを持つファンク・ナンバーの“Sweat”があるかと思えば、ベット・ミドラーのヴァージョンが有名な王道バラード“Wind Beneath My Wings”のカヴァーがあったり、ギターのカッティングが最高に爽快な“Next To You”があったり、彼女の出身地(シカゴ近郊)にちなんだシカゴ・ステッピン“Be With You”があったり。彼女は誇らしげに言う。

 「私ほどクリエイティヴ・コントロールを与えられたアーティストはいないかもしれない」。

 音楽面の参謀は、(かつて偽物騒動を起こしたことで知られる)ミリ・ヴァニリに楽曲を提供していたドイツ出身のクリエイターで、現在ではファーギーやリッキー・マーティンといったポップス~R&Bを手掛けているトビー・ガッド。USの音楽に強く影響を受けたこのプロデューサーと、ゴスペル上がりの強靱なノドを持ち、高等な音楽教育を受けたエリザベスとの出会いは、きわめて自由で、ポジティヴなエネルギーに満ちた音楽を生み出した。それは、ヒップホップ主導のR&Bとは異なる価値観で作られた、ソウルフルで心地良い音楽。ジャンルが細分化された時代だからこそかえって際立つ存在という点では、レーベルメイトのノラ・ジョーンズにも通じる、ユニヴァーサルな魅力を持ったシンガーの登場だ。

PROFILE

エリザベス・ウィザース
イリノイ州ジョリエット出身のシンガー。幼い頃からグラディス・ナイトやナタリー・コールに憧れ、タレント・ショウ出場などを通じて歌を志していく。93年にバークリー音楽院の奨学生となり、2000年にニューヨーク大学を卒業。並行してセリーヌ・ディオンらのレコーディングにバック・ヴォーカルとして参加する。2002年、エル・パトリス名義でハウスのシングル“Emotions”をリリース。その後ブロードウェイ・ミュージカル「カラー・パープル」に出演し、トニー賞にノミネートされるなど賞賛を浴びる。2006年にブルー・ノートと契約を果たし、今年1月にファースト・アルバム『It Can Happen To Anyone』(Blue Note/東芝EMI)を発表。このたびその日本盤がリリースされたばかり。

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掲載: 2007年06月21日 13:00

更新: 2007年06月21日 17:42

ソース: 『bounce』 287号(2007/5/25)

文/荘 治虫