インタビュー

中山うり


  アコーディオンを抱えて世界中を彷徨う旅芸人のように、さまざまなフォークロア音楽の影響を受けて歌うジプシー風シンガー・ソングライター。今年5月にアルバム『DoReMiFa』でメジャー・デビューした中山うりというアーティストに対して、私は最初にそんな印象を持った。タンゴに詳しいに違いないとか、フランスでミュゼットの勉強をちゃんとしているのかもとか。でも彼女と実際に会ってみると、まさしく風の吹くまま音楽に向かい、心の赴くまま歌い出したとでもいうような、良い意味で気ままで柔軟な女性だった。

 「小さい頃からブラスバンドでトランペットをやっていたりして、楽器を演奏することは好きだったんですけど、音楽もジャンル関係なくいろいろ聴くような感じだったし、何か一つの音楽をすごく聴き込んだって経験はないんです。そもそも中学の頃から美容師をめざしていたんで、まさか人前で歌ったり曲を作ったりすることになるとは思ってなかったですね」。

 トランペットや鍵盤など、演奏できる楽器はすでにいくつかあった。けれど、彼女がより自覚的に音楽に向き合うようになったのは、高校卒業後、美容師になるという目標をしっかり実現させてからだった。

 「何か足りないなって、専門学校に通ってる頃から思ってはいたんです。で、いざ美容師の仕事を始めるとやっぱりすごく大変で、充実してはいたんですけど、高校出てからはトランペットもやらなくなったし、何だか心にポッカリ穴が開いちゃって。やっぱり休みの日とかに趣味で良いから音楽をやりたいなって思ったんです。で、いまさらトランペットをやるのもなあって感じだったし、〈そういや、まだ歌を歌ってないな、私〉と思って(笑)」。

 曲なんて作ったこともなかった。歌詞も書いたことがない。でも、だからこそ楽しそう、ゼロからやってみたい――そんな気楽で無邪気な動機。おまけに極端な音楽マニアでもないから、最初は「家にかろうじてあった」という荒井由実や矢野顕子のCDを聴きながら自己流で曲を作っていったという。しかし、そうした〈まっさら〉な姿勢が彼女の潜在能力を引き出すこととなった。そして訪れた、アコーディオンという楽器との出会い……。

 「何か楽器を弾きながら歌いたいと思っていたんですけど、どうせなら個性的な楽器がやりたかったんです。で、試しにcobaさんのお父さんがやってる楽器屋さんに行って試奏してみたら、いろんな可能性を感じたんですね。〈私、できるようになりますかね?〉なんて訊いたりして。で、そのまま買っちゃった(笑)。アコーディオンを使った音楽を片っ端から聴くようになったのはそれからですね」。

 デビュー作からわずか半年という短いスパンで届いたセカンド・アルバム『エトランゼ』は〈旅〉をテーマにした曲が中心で、実際に異国情緒、異邦人的視点を感じさせる内容に仕上がっている。とはいえ、そこで描かれる街の景色はあくまでも想像の産物で、彼女がイメージを膨らませて作り上げた架空の風景。しかし、文化や音楽の史実に縛られすぎないそうした自由な発想こそが、中山うりというアーティストを解放させている。アルゼンチンの巨匠、オスバルド・プクリエーセ作曲によるアルゼンチン・タンゴの名曲で、あがた森魚が『バンドネオンの豹』で取り上げた〈夜のレクエルド〉やアラン・トゥーサンの〈ジャワの夜はふけて〉といった曲もカヴァーしているが、アレンジも演奏も実に素直だ。

 「歌詞は現実とは違う架空の世界をテーマにしたものが多いですね。いかに自由になれるか、いかに自由に音楽を作れるかというのが大きなテーマなんで。ただ、いまはまだ〈こういう感じの曲にしたい〉って漠然と想像して曲を完成させていってるんですけど、これからはもっとアレンジをちゃんとやれるようにしたいですね」。

PROFILE

中山うり
アコーディオン弾き語りのシンガー・ソングライター。美容師としてサロンに勤務する傍ら、2001年よりシンガーとしての活動を開始。2005年から定期的にワンマン・ライヴを行うようになると、2006年にはデビュー前ながら〈フジロック〉に出演するなど活躍の場を広げていく。同年、配信のみでリリースした“月とラクダの夢を見た”が1週間で4万6900件というダウンロード数を記録。その後配信された初の音源集『URI NAKAYAMA-EP』もロングセラーとなり、ライヴの動員数も伸ばしていく。2007年5月にはメジャー・デビュー・アルバム『DoReMiFa』を発表。期待を集めるなか、このたびセカンド・アルバム『エトランゼ』(ソニー)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2007年11月29日 20:00

ソース: 『bounce』 293号(2007/11/25)

文/岡村 詩野