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インタビュー

THE-DREAM


  のんびりと、まったりと、大らかに、歌ってる本人がいちばん気持ち良さそうな風情で、ゆったりと響く声。ドリームの素朴な語り口と優美なメロディーは、そんなふうに忍び寄ってきて、1年を通じて念押しするようにリフレインし続けた。〈エラ、エラ、エー、エー、エー♪〉が強烈なリアーナのビッグ・ヒット“Umbrella”の第一印象は〈ヘンテコな歌〉だったんだけど、数か月後にJ・ホリデイ“Bed”の〈ベ~ッ、エ~ッ、エ~ッ♪〉を聴く頃には、馴染みのある節回しとしてすんなり受け止めることができたのだった。言うまでもなくいずれの曲もテリウス“ドリーム”ナッシュのペンによるものである。カタカナにするとアホみたいだが、そのヴォーカリゼーションには、単なるインパクト勝負じゃない心地良さと創造性が備わっているのだ。

 「いまの音楽は人を惹き付けないよ。音楽に高いクリエイティヴ・スタンダードを設ける必要があるね。俺は俺の曲が聴く人にインパクトを与えて、その真のクォリティーがきちんと伝わることを願ってるよ」。

 そう自信満々に語るドリームだが、これまでの道程は決して平坦ではなかった。アトランタのバンクヘッドで育ち、債券回収代行業者になるため勉強していた彼は、高校を卒業すると地元の大物ラッパーであるラヒーム(なお、彼の別名はラヒーム・ザ・ドリームだ!)の元でゲス・フーというグループに参加し、音楽の世界に足を踏み入れている。自身も「けっこう上手くいったよ」と回想する当時の奮闘はラヒームのアルバム『Tight 4 Life』(98年)などに形跡を残すものの、グループは長く続かず。特別に歌が上手いわけでもないドリームは、ソングライターとしてレイニー・ステュワートらと仕事をするようになる。

 「音楽じゃ1セントも稼げないぞ、って祖父に言われたよ。俺自身も21、2歳になるまで、音楽ビジネスで成功できるなんて思ってなかったけどね」。

 が、レイニーとB2Kの“Everything”を書いた後、トリッキー・ステュワートの主宰する制作チーム=レッドゾーンに加わったドリームはチャンスを掴む。

 「トリッキーが放り出していたトラックに曲を書いて歌をレコーディングしたんだ。俺はチームの駆け出しだったから、一晩中自分で機材をいじってね。で、トリッキーがブリトニー・スピアーズにいろんな曲をプレゼンした時に、俺の“Me Against The Music”をかけたら、〈凄くイイ! このフックが気に入ったわ!〉ってなったわけさ」。

 ブリトニーとマドンナのカラミが話題になった同曲で需要が急増!とはいかなかったが、夫人となったニヴェアの『Complicated』(2005年)のプロデュースなどを通じてドリームは着々と足場を固めていく。そして、“Umbrella”のデモを気に入ったデフ・ジャムのLA・リードが同曲をリアーナに与え、そのままドリームとの契約にも踏み切ったというわけだ。

 いわゆる〈歌の上手さ〉とはかけ離れているがゆえの、人懐っこいメロディーを魅力とするドリームの歌は、ヒップホップ~R&B~レゲエの間をまろやかに漂うエイコン~T・ペイン~ショーン・キングストン系の歌い口に通じる。また、彼らに触発されてR・ケリーが編み出したシンギン・ラップにも近いものだ。そして、結果的にファースト・アルバム『Love/Hate』は、彼が長年シーンに発行してきた債券を回収するような、キャッチーでクリエイティヴな逸品となっている。先行ヒットの“Shawty Is Da Sh*!”をはじめ、プリンスの影響を開陳した“Fast Car”やファルセットで悶える“Falsetto”、メイク・ラヴをTR-808に準えた“Luv Songs”など、ユーモラスでエロい曲が多いのが素晴らしいし、リリックの主題とビートとメロディーが渾然一体となったおもしろさも特筆すべきだろう。

 「聴いてる人に何かを与えてるという感じだね。アルバム丸ごと“Umbrella”と同じスタイルを貫いていて、80年代のように音楽的さ。全曲がシングルみたいで、人のさまざまな感覚に訴えると思う。マイケル・ジャクソンの『Thriller』みたいにね」。

 なお、セリーヌ・ディオン“Skies Of L.A.”、メアリーJ・ブライジ“Just Fine”、そしてバウ・ワウ&オマリオン“Girlfriend”などなど、ドリーミーな楽曲もガンガン量産中。この夢からはまだまだ覚めそうにないな。

PROFILE

ドリーム
ノースキャロライナ出身、アトランタ育ちのシンガー/ソングライター。高校卒業と同時にゲス・フーに参加して、地元のレーベルであるタイト2デフと契約。グループ消滅後にソングライターとしての活動を開始し、B2Kやブリトニー・スピアーズの楽曲を書いて注目を集める。2004年にニヴェアと結婚。以降もシュガベイブスやブルック・ヴァレンタインらの曲を手掛けていく。2007年に入って、リアーナに書いた“Umbrella”のヒットをきっかけにデフ・ジャムとアーティスト契約し、シングル“Shawty Is Da Sh*!”でデビュー。J・ホリデイやクリス・ブラウンらへの楽曲提供を経て、ファースト・アルバム『Love/Hate』(Radio Killa/Def Jam/ユニバーサル)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2008年01月17日 13:00

更新: 2008年01月17日 17:36

ソース: 『bounce』 294号(2007/12/25)

文/轟 ひろみ