JOSE JAMES
かのジャイルズ・ピーターソンが〈15年にひとりの逸材〉と言うほど惚れ込み、みずからのレーベル=ブラウンズウッドに招き入れたのが、現在29歳のジャズ・ヴォーカリスト、ホセ・ジェイムズだ。ただし名前からもわかるとおり、このホセは英国出身者ではない。パナマ人の現役ミュージシャンである父親とアイルランド系の母親の間にミネアポリスで生まれ、18歳からNYで活動を続けてきたアーティストだ。ヴォーカリストとしてジャズのメッカで勝負しようとNYに渡ったが、10年間、芽が出なかったという。しかし、2006年にロンドンで行われた国際ジャズ・コンペティションに参加した際、クラブをセッションして回り、そこでジャイルズにEPを渡したことが転機となった。
「〈キミには国際的なコンテンポラリー・ジャズ・シンガーになる資質が備わっている〉と言われたよ。凄く名誉なことだね。ジャイルズは〈キミのサウンド〉という言い方をしてくれて、それをひとりでも多くの人とシェアできるようにしたいと考えてくれている。言うなればジャイルズと僕は、インパルスのボブ・シールとジョン・コルトレーンのような関係さ。〈キミのサウンドを信じる。世界中にそれを聴かせるチャンスを与えるからやってみろ〉と言って自由にやらせたボブ・シールのような人がレーベルにいたからこそ、コルトレーンもああいう存在になった。最近じゃあまりそういう話を聞かなくなったけど、ジャイルズは〈やりたいようにやってくれ。美しい音楽を作ってほしいから〉と僕に言ってくれたんだ。心から感謝してるよ」。
そうしてまず、若き日のチェット・ベイカーが歌っているような“The Dreamer”という曲が、ブラウンズウッドのコンピ『Brownswood Bubblers』に収録されて世に出た。
「“The Dreamer”は、僕が初めてメロディーと歌詞の両方を書いた曲だった。あの曲が書けたことで、アルバム全体の形が漠然と見えた気がしたんだ。パーソナルで、スピリチュアル。トラディショナルだけど、フレッシュ。あの曲からそういう形が広がっていったんだよ」。
その曲名がそのまま表題になったホセのファースト・アルバム『The Dreamer』。筆者は昨年の春にそのデモ音源的なものを聴いていたのだが、そこから二転三転あったようで、ようやくここに届いた完成形は当初のものからかなり内容の変わったものとなっている。
「最初はもっとトラディショナルなジャズ・アルバムを考えていた。その核にするべくコルトレーンの曲を3曲録音していたんだけど、結局は使用許可が下りなくて、アルバムの路線を変更することになった。それでオリジナル曲をたくさん書くことになったんだ。おかげで僕はコンポーザーになれたわけだよ(笑)。それと、途中でドラマーが変わったり、ピアノを加えたりと、バンド自体が変わっていって、必然的にスタイルも変化した。思えばこのアルバムの制作自体が、次々と風景の変わっていく旅のようなものだったね。結果、僕のようなシンガーがいま生きているこの時代の空気のようなものを、おもしろいストーリーとして語れた作品になっていると思う」。
トラディショナルなジャズ、ドラムンベースを用いたクラブ系のジャズ、それにネオ・ソウル的なフィーリングの曲――甘く艶めかしいホセの歌声がそれらを線で繋いでいくこのアルバムは、ジャズという括りを超えてたくさんの人を魅了するはずだ。
「僕を形作っているいちばん重要な音楽は、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、ビリー・ホリデイらのものだ。それらと同じくらい深みを持った音楽をめざしているよ。でも、同時に〈いま現在の音楽〉であることも重要だ。そのふたつをいかにミックスできるか、挑戦しがいのあることだね」。
PROFILE
ホセ・ジェイムズ
ミネアポリス出身のジャズ・ヴォーカリスト。パナマ人のミュージシャンを父に持ち、母親の元でロックやフォークなどを聴きながら育つ。14歳の時にラジオでデューク・エリントンを聴いてジャズに開眼し、シンガーをめざしてワシントンDCで活動を開始。18歳でNYへ移り住み、ライヴやデモ制作を続けていく。2006年にジャイルズ・ピーターソンに見い出されてブラウンズウッドと契約。同年のコンピ『Brownswood Bubblers』に“The Dreamer”が収録されて話題となる。2007年には“Blackeyedsusan”など数枚のシングルを発表し、コンピ『BLUE NOTE STREET』にも参加。このたびファースト・アルバム『The Dreamer』(Brownswood/TRAFFIC)を日本先行でリリースしたばかり。