千住宗臣&山本達久
左:山本達久 右:千住宗臣
「ウリチパン郡、PARA、COMBO PIANO、石橋英子さん、七尾旅人さん……」「NATSUMEN、藤井郷子さんのファースト・ミーティング、勝井祐二さんとマロンさんと三人でやっているプラマイゼロとかカヒミ・カリィ・バンドとか……キリないですよ(笑)」
取材のはじめ、継続中のバンド、プロジェクトを訊いた私に千住宗臣と山本達久はそれぞれいくつか、というかいくつも挙げてくれたのだけど、そこには熱心に音楽を聴くひとには避けられない名前が散りばめられていた。即興あり、歌があれば、複雑なアンサンブルからブレイクビーツさえ叩きわける彼らのスタイルは70年代生まれ(つまり90年代)までのミュージシャンがハイブリッドのテーマの下に格闘した音楽の進化論(?)と切断したものではないか、と私は彼らに質問すると、「僕らの世代はタワレコに行けばなんでもそろっていたんで、どんなジャンルのCDだって聴いたし、ライヴもなんでもいく。音楽にヒエラルキーはまったくなかった。上の世代をマネようとは全然思わなかったけど」と山本達久は答えた。千住宗臣は隣でそれに同調する。
私はふたりの名前を関した『a thousand mountains』は音楽の根本にある〈時間〉と〈空間〉の主題をアコースティックとエレクトロニクス、即興と録音、リズムと音響といったサブテーマに敷衍し、ポップかつクリティカルに音像化したものだと思う。
ドラマーのデュオ作ときけばテクニックを前面にだしたとっつきにくいものを想像しがちだけど、ポリリズムの交錯をリズムの彫刻のように編み上げた《chronoscope fatigue》とその《variation》を冒頭と幕引きに配置し、弱音系の《foggy in aquarium》《coral flirtation》までの前半と、すでに録音した共演音源に千住宗臣が単独で音をかぶせた《correspon-dance》、各トラックの音の干渉でドローンを派生させた山本達久の単独多重演奏による《fricative lights》の後半を、COMBO PIANOの渡邊琢磨のリミックスでセパレートしたアルバムの構成は「鳴りものの集合体としての(山本)」ドラムという彼らの楽器へのアプローチを明らかにするだけでなく、参照点がわかりにくくなった音楽シーンへの批評として機能もする。
千住宗臣は「三年前くらいから頭のなかでずっと鳴っているグルーヴやリズムがあるんですが、それは誰も必要としない私的な音楽体験だと思っていたんです。今回それを出そうという気はなかったんですが、不思議と形になった」といい、山本達久も「誰に聴かせたいというより、自分が聴きたいから作った」と本作の由来を説明したが、シンプルなアイデアを曲単位に落としこみながら、一曲ごとに音を聴く不可思議さを再生する本作の批評性は、彼らがステージの後方から全体を見渡すドラマーであることと無縁ではないだろうし、先鋭的なユニットに多数関わっている現状を反映し、きわめてポップだとも思った。