Jorginho do Pandeiro(Epoca de Ouro)
ショーロ黄金時代を偲ぶアンサンブル、ここにあり
19世紀半ばリオで誕生したショーロは、20世紀育ちのサンバにとって、厳格な父親にも喩えられる存在だ。雑草のごとく逞しく破天荒な子と違い、父はポルトガル・ルーツを格調高く継承・発展させ、泣きの美学(chorar=泣く、が語源)を今に伝える。
45年近い芸歴を誇るエポカ・ヂ・オウロの生き証人、79歳のジョルジーニョは、グループ名に刻まれた「黄金時代」を知るパンデイロの達人だ。ソロを紡ぐバンドリン(ブラジル固有のマンドリン)にカヴァキーニョ、6弦ギターと7弦ギターの基本編成で、時に管楽器が対話に絡む。重鎮の叩くパンデイロは土台のリズム・キープ役かと思いきや、フル・ドラムセットばりのダイナミズム。アンサンブルの高揚から囁きまで、強弱を統率する指揮者のよう。
「小さい頃からパンデイロが好きでね。我が家じゃ毎週末、プロアマ問わず大勢の音楽家が集まっていた。ショーロの輪(セッション)が始まると、いつもパンデイロ奏者の傍らに座り夢中で眺めた。6〜7歳で叩き始め、14歳でプロになり、19歳にしてベネヂート・ラセルダのグループに参加。29歳でラジオ・ナシオナル専属奏者になっていたんだよ」
そう、ショーロが絶頂期を迎えたのは、ラジオ全盛時代。当時の全ラジオ局が、それぞれ専属のショーロ集団を抱えていたという。むろん巷でも……。
「1930〜50年代、映画館やキャバレーにショーロが溢れていた。エリートのサロンへも招かれたもんだよ。カフェは、演奏する場所じゃなかったがね」
だが、テレビが娯楽を支配し、レビューや歌謡映画の栄華に翳りがみえるや、ショーロはショー・ビジネス界から距離を置き、歴史的名曲と至芸の秘術を守ったまま、伝統の殻に閉じこもってしまう。
「63年ツイストの流行で、一気にブラジル音楽全体が落ち込んだ。仕事は厳しくなったなぁ。90年代末以降、ラパ地区(リオの旧歓楽街)が2度目の復興を遂げると、力強いムーブメントが戻ったんだよ」
おかげで、徐々に若きプレイヤーの裾野も広がりつつあるらしい。往時の風雅を宿すエポカ・ヂ・オウロは、永久に後進らの良き規範なのだ。
CD『カフェ・ブラジル』の成功を受け02、03年と来日。当時、店舗のワールドフロアに、突如〈カフェ・ミュージック〉とかいうコーナーまで出現したっけ。
創設来の仲間セザル・ファリア、ジョルジーニョの実兄ヂノは、あの世に召された。両長老参加の最後の録音が、今回陽の目をみる。万人の好むシンプルな名曲尽くし、日常食の飽きのこない旨さが身上とか。
それにつけても、79歳でプロモ来日してくれるとは……温厚なパンデイロ紳士に感謝せねば。
『Café Brasil エポカ・ヂ・オウロ』
エポカ・ヂ・オウロ:ジョルジーニョ・ド・パンデイロ(パンデイロ)ホナウド・ド・バンドリン(バンドリン)ジョルジ・フィーリョ(カヴァキーニョ)トニ・アゼレード(7弦ギター)アンドレ・ベリエニ(6弦ギター)アントニオ・ホーシャ(フルート)ゲスト:セルシーニョ・スィウヴァ(パーカッション)
5/25(火)&26(水)18:30 開場 19:00開演
会場:すみだトリフォニーホール
http://www.triphony.com/