ROX 『Memoirs』
エイミー・ワインハウスがすっかり音楽活動から遠ざかっている間にも、このような逸材は現れ、新たな波を起こしていく。だからうかうかしてられんよ、エイミーさん。あなたのお株を奪ってしまったかのようなオールドタイミーなダンス・ソウル“No Going Back”で英国デビューしたロックスは、古き良きソウルのエッセンスをポップに塗し、バラードでは深い情感を表現できもするシンガーなのだから。しかもまだ22歳で、若かりし日のローリン・ヒルのようなキュートさがある。聴き手が親近感を抱ける等身大の感覚も魅力で、間違ってもこの人は奇行に走ったりしないだろう。そんなロックスことロクサーヌ・タニア・タタエイは、英サウス・ロンドンの生まれで、母親がジャマイカ人。父親はイラン人。
「父は10代でイギリスに移住したから、イラン人っぽくないの。ちょっと変わってて、黒人女性が好きだし(笑)、ソウルやヒップホップも好きっていう。イランの言語は教わったことがなかったわ。父は家にいなくて、私はジャマイカ系の母と祖母に育てられた。だから基本的にジャマイカの風習のもとで私は育ったわけで、イランの血が流れているのを感じたことはないのよね。歌は5歳の頃に教会で歌い出したのが始まり。祖父が神父さんだったから」。
歌うことが自己表現であると悟ってからは、ローリン・ヒルやシャーデー、ポーティスヘッドまでを聴き、やがてレゲエにドップリになってみずからの出自と根源的な力を確認した後、今度はジョニ・ミッチェルにはまって音楽の構造に興味が向くようになったという。そして2007年にみずからアコースティック・ジャズ・バンドを結成。ライヴを通して才能が伝わりはじめ、いくつかのレーベルから申し出があったなかから、ラフ・トレードとソロ契約してデビューと相成った。
ファースト・アルバム『Memoirs』は、まずローリンやエイミーを支えたコミッショナー・ゴードンの仕切りによるジャム・セッションでヴィジョンを明確にし、具体的な制作はアル・シャックスとガップリ組んで行われた。ジェイ・Z“Empire State Of Mind”の仕事で名を上げたシャックスは、大半のプロデュースのみならず、さまざまな楽器演奏も担当してロックスの個性と歌唱の魅力を引き出している。さながらエイミー盤でのマーク・ロンソンのように。
「アルとは前々から友達だったの。いまじゃすっかり売れっ子でアメリカ中を飛び回ってるけど、才能溢れる人だからそうなると思ってたわ。次回作? ええ、もちろんいっしょに作りたいわね」。
そのアル・シャックスがプログラミングやストリングス・アレンジも手掛けた“My Baby Left Me”はキャッチーなリード曲だが、思わず踊り出したくなるようなメロディーに反して、歌詞は残酷な愛の結末を描いたものだ。
「初めて付き合った相手に振り回されたあげくにフラれて、そのときの気持ちを書こうと思ったら、ふとこのメロディーを口ずさんでたの。悲しかったのは確かだけど、別に世界の終わりじゃないんだし、前に進むしかないじゃない? そんな思いが自然に曲に出たんでしょうね」。
この曲に限らず、ロックスの歌詞はどれも本心だけを綴った日記のように赤裸々で、しかも多くの場合、そこに悲しみが横たわっている。
「悲しい気持ちの時のほうが歌詞も曲も溢れ出てくるのよね。こんなに私的なことを赤裸々に綴っていいのかしらって恐れも始めはあったけど、やってよかったわ。〈いままさに自分が経験していることをあなたは書いて歌ってくれた〉というようなメールをたくさんもらったの。自分のやってることは意味のあることなんだと確信できた。私はこれを〈感情のリサイクル〉と呼んでいるわ。自分の感情を隠さず表すことで、同じような経験をしてる人たちの救いになれたりもする。最近改めて音楽の力って凄いんだなって実感してるところよ。ああ、でも、ハッピーな歌ももっと書かなきゃね(笑)」。
PROFILE/ロックス
本名ロクサーヌ・タニア・タタエイ。ロンドン出身、ジャマイカとイランの血を引く現在21歳のシンガー。幼い頃から教会で歌いはじめ、10歳でナショナル・ユース・ミュージック・シアター(NYMT)に加入して頭角を現していく。2007年にバンドを結成してシンガー活動を本格的に開始し、2008年にはニティン・ソーニーの“Distant Dreams”に客演。同年11月にラフ・トレードと契約し、2009年末にシングル“No Going Back”でデビューを果たす。今年に入って〈BBC Sound Of 2010〉に選出されるなど各メディアの絶賛を集め、“My Baby Left Me”がヨーロッパ諸国でヒットを記録。このたびファースト・アルバム『Memoirs』(Rough Trade/HOSTESS)をリリースしたばかり。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2010年08月06日 13:24
更新: 2010年08月06日 13:24
ソース: bounce 323号 (2010年7月25日発行)
インタヴュー・文/内本順一