こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

インタビュー

藍川由美

Photo by Hiroshi NAKANO

これでいいのだ! にっぽんのうた。
────初のベスト盤『明治・大正・昭和の名曲を集めた〜日本のうた近代史』をリリース!

これまで、公演・録音・著作を通じて近代日本の歌の歴史を紐解き、時には楽譜における諸問題や言葉の表記・発音に関する疑問点等に鋭く斬り込みつつ、私たちの目を〈にっぽんのうた〉の魅力に見開かせてくれた藍川由美。この度リリースされる初のベスト盤も、明治・大正・昭和の名曲を体系的にコンパイルした注目の1枚だ。

日本の〈洋楽事始(ことはじめ)〉としてアルバムの冒頭を飾るのは勇ましくも軽快な軍楽たち。もしかしたら《軍艦行進曲》らの登場に戸惑うリスナーもまだいるかもしれないが……

「近代国家の一員となった明治政府が、富国強兵を目指して軍隊調練のために洋楽の導入を図った史実がある以上、そこを抜かして日本の歌を語ることはできません。1曲目のフランス人ルルー作曲による《抜刀隊》も、軍歌はもちろん流行歌まで、その後の我が国の音楽に多大な影響を与えた記念碑的楽曲のひとつなのですから」

明治12年設置の文部省音楽取調掛(※後の東京音楽学校、現在の東京藝術大学)がアメリカの音楽教育家メーソンを迎えて編集にあたった『小學唱歌集』が欧米の民謡や愛唱歌に日本語詞をつけた〈替え歌〉的なものであったのに対し、全てを日本人が作詞作曲した『尋常小學讀本唱歌』からは《春が来た》を収録。共に瀧廉太郎作曲による『中学唱歌』懸賞の入選作《荒城の月》《箱根八里》では編曲に関するこだわりもあってたいへん興味深い。

「作曲と編曲は別の作品なので、どちらが正しいかを論じるのは無意味です。瀧の原曲で歌う場合は無伴奏なので、それこそ下駄履きの蛮カラ学生が逍遥するような感じで実際に歩きながら歌うとイメージがつかみやすいですよ。山田耕筰の編曲は大袈裟だから原曲のイメージで歌いたいという方には本居長世編曲の《荒城の月》をお勧めします。どんな歌もただ聴くだけでなく自分で歌って初めて心に響く歌になると思うので、どんどん歌って欲しいです」

日本の伝統的な修辞法を用いて多層的な世界を構築した詩人・野口雨情の手による3曲では、言葉の持つ細やかなニュアンスを的確に紡ぎ出す歌唱が見事だ。とりわけ雨情が当時の社会情勢に対する痛烈な批判を込めたとされる《人買船》が強く胸に迫ってくる。

「日本にも少し前まで〈人買い〉が本当にあった時代がありました。そんな現実から生まれたこの歌の楽譜が今では入手困難だったり、歌うのは〈不適切〉と眉をひそめられたりするのはちょっとおかしな話ですよね」

他にも、山田耕筰が2度作曲した北原白秋の童謡《からたちの花》を聴き比べられたり、フランス印象派仕込みの和声が新風を呼んだ橋本國彦の代表作《お菓子と娘》を作者指定の正しいテンポで歌ったものあり、と聴き所は多い。また、昭和4年にイギリスの国際作曲コンクールで2位入賞という輝かしいスタートを切りながら、後に流行歌の世界で活躍した古関裕而も彼女が敬愛する作曲家のひとりで、今回は《長崎の鐘》という鎮魂の歌が選ばれているが、たとえ戦時中に作られた《嗚呼神風特別攻撃隊》を歌ったとしても、淡々と歴史を辿るという藍川のスタンスは一貫している。

「私が〈戦時歌謡〉を歌うのは戦争の愚かさから目を背けたくないという気持ちからです。それらを歌いながら死んでいった人たちのことを思うと涙なくしては演奏できません。たとえ負の歴史であってもそれを隠蔽するべきではないと思うのです。何も知らない日本人が戦争にまつわる歴史を教え込まれたアジア諸国の人と話をしたら摩擦が起きるのは当然ですよね」

ボーナス・トラックとして新録音されたのは戦後、松竹映画の音楽部員となり、TVドラマやアニメ等にも多くの作品を残している現役の作曲家・木下忠司の作品。TBSの長寿番組『水戸黄門』の主題歌としてあまりにも有名な《ああ人生に涙あり》が4番の歌詞まで完全収録されているのも楽しいが、2009年に藍川のために作曲され、彼女が初演した中原中也の詩によるピアノ弾き歌い《汚れちまった悲しみに》が入れられたのもファンには嬉しいところだろう。

「木下先生に書き下ろしていただいたメロディに、ピアノ・パートは私が即興的にアレンジしたものを加えて完成させたものです。中也の詩は熱く歌い上げると陳腐になりやすいからと、〈語る〉ような感じで作曲して下さったのはさすがですね」

一般参加型の〈うたの寺子屋〉やワークショップ等を各地で展開し、近年は〈和歌披講〉や和琴の弾き歌い・古代歌謡コンサートと、さらに活動の場を広げつつある彼女。次回作は、日本語とイタリア語の母音の違いをわかりやすく検証した、新しい〈日本のうた歌唱法〉アルバムに着手するとのことなので、大いに期待したい。

「うちの母などは年をとって近い記憶が失われがちなのに、幼い頃に覚えた歌は全編きちんと歌え、元気だった頃のイメージを取り戻して心が癒されているようです。子供時代に自分の歌を持つことの大切さをつくづく感じます」

藍川由美『日本のうた編年体コンサート「城ヶ島の雨」~劇中歌の誕生』 2010/12/16(木)19:00~ 東京文化会館小ホール
『聴いて歌って楽しむ「日本のうた」vol.1……演歌を知ろう』2011/2/6(日) 19:00~ 東京文化会館小ホール
『伊福部 昭の音楽 vol.3』2011/3/27(日) 19:00~ 東京文化会館小ホール

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2010年10月06日 11:58

更新: 2010年10月06日 12:18

ソース: intoxicate vol.87 (2010年8月20日発行)

interview & text : 東端哲也