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インタビュー

TOKIO HOTEL 『Darkside Of The Sun』

 

ハロー! ハロー! ゴージャスでグラマラスな新しいスターダスト、ストレートでパワフルな新しいロックスター。遥か彼方のトキオを夢想してヨーロッパを制した超新星が、いよいよ本格的に日本上陸を果たしたぞ!!

 

美しき異人たち

あれは2008年にLAで開催されたVMAでのこと。栄えある最優秀新人賞のノミネートにはテイラー・スウィフト、ケイティ・ペリー、マイリー・サイラスと、いまをときめく3大女傑が含まれており、そのいずれかが受賞するものと思われていた。ところが、である。プレゼンターが読み上げた名前は〈トキオ・ホテル〉——その瞬間、困惑めいた空気が会場にさっと広がったように見えた。ステージに現れた4人のメンバーはといえば、少々訛りのある英語を話し、フロントマンは漆黒の髪をライオンのごとく逆立てて、目をアイライナーで黒々と縁取り、もしやフロントウーマン? っていうか、この人たち誰??

思えばトキオ・ホテルはその4か月前に初めてアルバムをUSリリースしたばかりだったから、そんな反応も無理なかったのだが、他の国々では事情が違った。2005年にデビューしてから本国ドイツでは3曲連続でシングルが1位に輝き、ドイツ語で歌っていたにもかかわらず、瞬く間にヨーロッパ全域で熱狂的人気を獲得。各国のチャートと音楽賞を荒らしまくり、中南米やアジアにもじわじわファン層を築きつつあった。その後現在までにアルバム/シングル/DVD総計で700万枚以上のセールスを叩き出した彼らは、ドイツ出身としてはミリ・ヴァニリ(!)以来20年ぶりに世界的ブレイクを果たしたことになる。しかも、4人の故郷はベルリンでもデュッセルドルフでもなく、旧東ドイツの小さな田舎町マグデブルク。10歳にして音楽の道に進むことを決心した麗しきフロントマンのビル・カウリッツは、彼いわく「寝る時以外は常にいっしょに行動している」一卵性双生児のトム(ギター)共々、幼い頃からアウトサイダー意識を抱いていたそうだ。

「昔から〈僕とトム対ほかのみんな〉っていう図式があったんだよね。友達は少なかったし、いつもふたりでつるんで、自分たちが浮いているように感じていた。できるだけ早く都会に出ていって、音楽をプレイしたいと思ってたよ。僕らは授業が終わるとすぐにリハーサル・スペースに行って、夜は小さなクラブで演奏していたから、他の人たちの目には奇妙に映っただろうね」。

間もなくふたりは、音楽学校で学んでいた同世代のゲオルグ・リスティング(ベース)とグスタフ・シェイファー(ドラムス)に出会い、トキオ・ホテルを結成。まだ10代半ばだった時に早速、ファースト・アルバム『Schrei』を大ヒットさせるのである。「なぜ僕らが成功したかって? 僕が思うに、オーディション番組がたくさんあってTVの中でバンドが作り出される時代に、僕らみたいに自然に形成されたバンドがどこからともなく出現して、新鮮に映ったんじゃないかな」というビルの分析に、トムは次のように続ける。

「ただ海外での成功に関しては、たゆまぬハードワークの賜物だと思うよ。僕らはさまざまな国に繰り返し足を運んで、多数のライヴをこなして努力を惜しまなかった。もちろん運にも恵まれたんだろうけどね」。

 


念のため……4人揃ってトキオ・ホテルだよ!

 

ロックスターは天職

これに加えて、彼らのルックスが人気に寄与していることは言うまでもないだろう。特に、年々妖艶さを増しているビルの存在感をステージで目にすれば、彼がスターになるべくして生まれたことは明白。ヘアメイクや服装で実験しはじめたのは小学生の頃だそうで、最近ではファッション界からも新世代のアイコンとして熱い注目を浴びており、本人も「学校では宇宙人みたいな存在で辛い思いをしたから、こういう仕事に就けて本当に嬉しいよ」と、ロックスターが自分の天職であることを認める。

「だって、いまは自由になれるからね。音楽とファッションを通して自分を好きに表現できるし、僕にとっては全部ひとつに繋がっているんだ。いつか自分のブランドも持ちたいと思ってるし」。

となれば当然、PVやステージ・プロダクションといったヴィジュアル表現にもひと方ならぬこだわりを持っている彼らだが、何よりも興味深いのは、ポップ全盛の00年代にあくまでもロックに徹してここまでビッグになったという点だ。トムはヒップホップにも造詣が深く、グスタフは大のメタルっ子、ゲオルグはレッチリのフリーをヒーローと仰ぎ、デヴィッド・ボウイを愛するビルは80年代ニューウェイヴ系にも夢中……と、4人の嗜好は見事にバラけていながら、全員が「文句なし」と一致するのは、エアロスミスのような王道のロック・バンド。それでもって、ポップ・パンクやニューメタルなど90年代末以降のトレンドを素直に吸収し、若者が共有する疎外感や反抗意識などの普遍的な題材を歌ったメロディックなアンセムを、天晴れな演奏力でプレイして次々に送り出してきた。従って、例えばそこにクラウト・ロックの影響を探しても無駄骨を折るだけ。サウンド的にはいい意味で無国籍で、「僕らの音楽にドイツ的な部分はない」とビルは言い切る。

「人間としてはすごくドイツ人らしいと思うけどね。特に僕とトムは乙女座でドイツ人だから、その相乗効果でふたりとも完璧主義者なんだ(笑)」。

そして英語とドイツ語の2ヴァージョンで制作された、海外でのサード・アルバムにして最新作『Humanoid』(2009年)では、エレクトロニックな要素を採り入れてダンサブルな路線にシフト。すべては人間として、またミュージシャンとしての成長に伴って自然に訪れた変化だというが、メンバーの雑多な嗜好を映した音の変遷は、ベスト・セレクション的な内容の日本デビュー作『Darkside Of The Sun』でクリアになぞることができる。

「これは僕らのお気に入りの曲を詰め込んだスペシャルなアルバムで、バンドの歴史を辿るような内容に仕上がっているんだ。初期の曲を作った時は本当に若かったから、最近の曲と比較すると変化の大きさに笑えると思うし、まずはゆっくり時間をかけて聴いてほしいね」(ビル)。

ちなみに、日本人には気になるバンド名(ドイツ語では東京を〈Tokio〉と綴る)は、遠く離れた異国の大都市を「自分たちの手の届かない場所、かつ、到達できるかわからないゴール」の象徴とみなして命名したそうだ。「正直言って命名した時は深く考えてなかったけどね」とビルは苦笑するものの、昨年12月に初めてその東京を訪れ、いよいよ日本でアルバムを発表できるとあって素直に興奮していた4人。トキオ・ホテル、言わば、満を持してのホームカミングである。

 

▼トキオ・ホテルの作品。

左から、2005年作『Schrei』、2007年作『Zimmer 483』(共にIsland Germany)、同年の英語アルバム『Scream』、2009年作『Humanoid』(共にCherrytree/Interscope)、2010年のライヴ盤『Humanoid City Live』(Island Germany)、楽曲を提供した2010年のサントラ『Almost Alice』(Buena Vista/Walt Disney)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2011年02月09日 17:59

更新: 2011年02月25日 22:41

ソース: bounce 328号 (2010年12月25日発行)

インタヴュー・文/新谷洋子