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インタビュー

INTERVIEW(2)――SEがエイフェックス・ツインで、やってるのはパンク

 

SEがエイフェックス・ツインで、やってるのはパンク

 

――なるほど。ベストのタイミングなので、これまでのキャリアを振り返ってみたいんですが。まず、藍坊主が活動を本格化させた2001年くらいって、〈青春パンク〉と呼ばれていたバンドが多かった時期で。

hozzy「そうですね。群雄割拠という感じで、ひしめき合ってました(笑)。俺らのちょっと下の世代にも、そういうバンドがいっぱいいて。当時はやっぱり、そのシーンに乗っかったほうがラクというか……」

田中「え、そういうこと!?」

hozzy「(笑)ラクっていうのは違うけど、インディーズ・シーンに勢いがあった頃だし、〈おもしれえな〉って思ってましたね。すごく刺激があったし、先陣を切ってたHIGHWAY61とかSTANCE PUNKSなんて、〈対バンするのが憧れ〉っていう存在で」

田中「ちょっと嬉しかったんですよね、〈青春パンク〉って言われるのが。俺らはただ好きなことをやってたんだけど、〈あ、そういうふうに見られるんだ〉って。何だろう、あの安心感(笑)」

hozzy「わかる。でも、ずっと言われ続けると、だんだんムカついてくるんだけどね(笑)。何て言うか、〈自分たちがやりたいのは、コレだけじゃないな〉って思ってたんですよ。俺はブルーハーツが好きで、〈コードを3つか4つ知ってれば、曲って出来るんだ〉ってことも知って、そこから藍坊主が始まっていって。でも、もっといろんな音楽があるじゃないですか。青春パンクのシーンで揉まれてた時期も、ライヴのSEがエイフェックス・ツインだったんですよ」

藤森「そうだった(笑)」

hozzy「その頃おもしろいと思ってたのって、レディオヘッドの『Kid A』だったり、エイフェックス・ツインの『Drukqs』だったり、あとはオウテカだったり。でも、やってるのはパンクっていう変な時期でした(笑)」

――藤森さんはその頃、バンドの将来像は思い描いてました?

藤森「(首を振る)」

hozzy「(笑)でも、いちばん行動してたのは彼だったんですよね。ライヴを引っ張ってきたり、いろんなところに電話をかけたり」

田中「デモテープ送ったりね」

藤森「そんなことばっかりやってたな、っていう記憶しかないですね(笑)」

田中「先の予定というか、ヴィジョンを持って動くタイプじゃないんですよね、4人とも。そのときの気分で曲を作って、誰かのリアクションによって〈あ、いまはこういう状態なんだ〉って理解しながらやっていくっていう」

――なるほど。渡辺さんの正式加入は2005年ですが、それ以前からサポート・メンバーとして参加してましたよね。

渡辺「はい。ちょうどメジャー・デビューのタイミングですね、まさに」

――藍坊主に対しては、どんな印象を持ってたんですか?

渡辺「印象は……どこのライヴに行っても盛り上がってるなって。地元のイヴェントでもいちばん盛り上がってたし、都内のライヴハウスでやっても、それなりに埋まってて」

hozzy「その前の〈スカスカ〉を知らないからな、お前。最初はもう、お客さんゼロってこともありましたから」
田中「辛いとかってまったく思ってなかったけどね(笑)」

――2005年のメジャー・デビューって、メンバー的にはどうだったんですか? 〈時間かかったな〉って感じ?

藤森「いや、早かったんじゃないかな。(シーン全体が)盛り上がってましたからね」

hozzy「インディーズでやっていくバンドもいたし、メジャーと契約するバンドもいて」

田中「でも、〈青春パンクのバンドだから〉ってところだけで評価されてるんだったらマズイなって思ってましたけどね。俺らはいいけど、オトナの人たちがマズイんじゃないかって。何でかっていうと、絶対に違うことをやりはじめるから」

藤森「そういうこと言ってた気がする、ユウイチ」

田中「誰かから〈こういう感じでやれ〉って言われても、絶対に従わない人たちですからね。〈たぶん、すぐに違うことをやりはじめちゃうと思うんで、いまやってることだけを見て評価してるんだったら、やめたほうがいいですよ〉って」

hozzy「そんなこと言ってたんだ。全然覚えてねえ(笑)」

――〈この先、どんどん変化していく〉っていうのは、バンドの共通認識だったんですか?

hozzy「そうですね。でも、そこはわかってくれてたんじゃないかな。パンクとかってことじゃなくて、〈歌を主体として、音楽を作っていくバンド〉っていう認識をしてくれてたというか」

 

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掲載: 2011年04月27日 18:01

インタヴュー・文/森 朋之