坂本慎太郎
彼岸から聴こえるポップ・ミュージック
『幻とのつきあい方』
それは、なんの前ぶれもなくやってきて、すっかりわたしたちの生活に取り憑いてしまった。見るもの聴くものがそれ以前とはちがうように感じられてしまうような。わたしが変わったのか、それとも世界が変わってしまったのか。しかし、それを受け入れてしまうことも、けして後ろ向きなことではない、むしろ前向きなことであるようにさえ思える。そうやって、これからどれくらいの年月が、この幻のように思える世界とのつきあいになるのか皆目見当つかないが、でもうまくやっていけるんじゃないか。やっていくしかない。そんな気分。
「幻とつきあう」とはいかにも坂本慎太郎らしいと思いながら、ゆらゆら帝国解散後はじめてのソロ・アルバムを聴いた。ゆら帝の最後のアルバムとなった『空洞です』は、たしかにそれが最後であることをなんとはなしに予感させていたのかもしれない。それは、坂本の偽らざる気持ちであろうこと、また、坂本はこの後どこにいくのだろう、という思いがふと頭をよぎったのも確かなことだった。だから、その後のことのなりゆきも判る気がすると受け入れることができた。そして、しばらくは坂本の新作を聴くことができないかもしれない、という気もどこかでしていた。そんな矢先に新作の報がとびこんできた。
それは「地震からつくりはじめたっていうのでも、解散するときにヴィジョンがあったわけでも」ない。解散後に半年くらいやることもなく、アイデアが浮かんでから籠りきりで制作に没頭してできたものだという。「やりたかったのは、曲とか音楽スタイルっていうよりも質感とかで、なんか具体的な音のイメージが最初からすごいあって」それは「ひとりじゃないとできなかった」ものであり「バンドでやってたらこういう質感のイメージは湧かなかったと思う」という性質を持ったものだ。とても内省的なアルバムだと思う。それは、ふと「僕らの音楽が、ある時、鏡になって…」という早川義夫の言葉を思い出させた。(音楽的にはぜんぜんちがうけれど)
このアルバムの中には、いまの気分みたいなものが充満している。その気分というのは、なんとなく現在のわたしたちが共有している(と思っている)、どこかから不意に到来したなにかに心を占拠されてしまったような、そんな感覚の何かだ。あるいは、そうした状況を生きなければならなくなってしまったわたしたちの気分。それを確実に写し出しているようにも感じられた。このアルバムを聴いた人がどれだけそれを連想しただろう。
「震災とかっていうのは、やっぱり無かったことにはできないし、かといっていまどんな歌を聴きたいのかなって思ったときに、地震とかなんにも無かった感じの楽しい曲を歌う気にもなれないし」
とはいえ、その音楽はどこか軽快で、いままでになく爽快だ。楽しそうに聴く音楽は、どこか悲しげであるということは、坂本の描くイラストからも感じられた。たとえ観客が目の前に何千人いたとしても、そこには虚無や孤独といった埋めきれないほどの欠落があるのかもしれない。
「いま、みんな絶望感とか虚無感とか、わざわざ空洞とかいうまでもなく、もう、ベーシックなところで共有してると思う」
それが「幽霊」や「幻」であり「傷」なのだろう。ここに共通する気分、違和感やあきらめといった感情は、ついそれと関連づけてられてしまう。それ以後の心理状態を描写したように思えるものが少なくないことも確かだ。《幽霊の気分で》に登場する主人公は誰からも見えない存在になって生きようとする。もしかすると、もう存在しないのかもしれない。ある決意をする人、かすかな希望を見いだす人、歌の中では、それが現世のことなのかあの世のことなのかは不明瞭だ。もちろん、それはどちらでもかまわない。
「普通にいくと、そういうのって、虚無を埋めるものを作ろうとするわけでしょ。だけどもう、あんまりそういうこと言いたくないんだよね。虚無とか、甘えてる感じがする」
それは彼岸から聴こえてくるポップ・ミュージックだった。「だから、楽しいっていうよりは不安になったり、恐くなったりするという人もいる」そんな音楽でもある。
「最近よく考えるのが、ときどきもう全部どうでもいいやとか思っちゃうんだけど、どうでもいいやっていうのが、ネガティブな言葉じゃなくてすごくポジティブに響く感じもして。どうでもいいと思った瞬間に勢いつくっていう感じ」
「終わりなき日常」の終わりなのか、終わらない「終わりなき日常」なのか。確実に言えることは、わたしたちがみんないつか死んでしまうということ。でもそれがいつやってくるのかわからないということもまた確かなことであり、そのわからなさに由来する不安の一方で、だからこそわたしたちは一日一日を精一杯生きようとするのだ。幽霊の気分で。
「それは、死と生がフラットな感じであるっていうことでしょ、あたりまえのように」
「幽霊」や「幻」というのはそういうことなんじゃないか。