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インタビュー

INTERVIEW(2)――バンド名に愛着なし!? 〈アレレのレ〉時代



バンド名に愛着なし!? 〈アレレのレ〉時代



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――そこから〈アレレのレ〉へと進んでいくと。

「(笑)。正直バンド名なんてどうでも良かったんですよ。いまと違ってインディーからデビューなんてこともないし、そこにいるお客さんが楽しんでくれれば良かったんです。僕らが活動していたのは、よく観測史上最高の気温を記録する熊谷という街。その夏祭りで行われてたバンド・コンテストで何度か優勝したんです。そこで出会った人が、ブラザートムさん。彼は当時古井戸みたいなデュオをやってて、ムチャクチャ上手かったんです。ただ〈おめえらが来るまで俺らはずっと優勝してたんだぞ!〉ってすごい怒られました(笑)」

――怒られましたか(笑)。

「それが高1か高2ぐらい。そのコンテストを熊谷にある音楽サークルの人が観てくれて、〈良かったらいっしょにライヴをやらないか?〉って誘ってくれたんです。〈木偶(でく)〉というサークルだったんですけど、そこでいろんなことを教えてもらいました。ほとんどが年上の人ばかりで、みんなホントに上手いんですよ。ブルースもジャズもカントリーも、そして音楽をやる姿勢も教えてもらいました。そうこうしているうち、熊谷に〈八木橋〉という老舗のデパートがあるんですけど、その旧館にあった半地下の食品売り場が丸々空いてて、そこを文化のために利用してほしいってことで僕らのいたサークルがお借りすることになったんです。で、僕らはそこをライヴハウスにして、週末はいつもコンサートをやってました。恵まれてましたね。週末はライヴがあるけど、平日は好きなだけそこで練習できて、しかも上手い人たちがいっぱいいるから腕も磨けたわけです。そのうちセッションをやるようになったりして仲良くなったり。年代を超えていろんな人たちと出会えましたよ」

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――それは自分たちが演奏する音楽にも大きな影響を与えますよね。

「そう。で、そこそこ有名になればそのうちに県外のライヴハウスからお呼びがかかるようになる。〈バンド名はなんだ?〉って訊かれても、〈何でもいいです〉って答えてたんです。5、6個の名前を使い回してましたから。そんなとき、ヤマハ系の楽器屋さんが僕らを気に入ってくれて、コンテストに僕らのテープを応募してくれたんです。突然お店の人から〈テープ審査通ったからポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出ろ〉って言われて。出ろって言われりゃね、どこでも行きますよ、活動の場は欲しいからね。そのときにお店の人が勝手に〈アレレ〉とか付けちゃって。僕たち出るたびに音楽性が変わって、得体が知れないバンドだったから〈アレレ〉って感じだったと思うんだけど、それがいつの間にか〈アレレのレ〉に変わっていたことは誰も気付いていなかった(笑)。それほど適当なバンド名だったんですよ。ちなみに〈フォークビレッジ〉に出た頃の名前は〈怪盗二十面チョ〉だった……超恥ずかしい(笑)」

――(笑)。そのとき〈ポプコン〉で1位を取ったのが……。

「あの“大都会”のクリスタルキングに負けました。僕らは優秀曲賞をもらったんです。あっ、79年の〈A-Rock〉というコンテストでは優勝しましたよ。で、コンテストよりちゃんとライヴがやりたいってことで、当時は渋谷の屋根裏とか道玄坂のヤマハのヤング・ステージによく出してもらってましたね。特にヤマハはカシオペアだとか子供ばんどとかウシャコダとかホント凄い人たちがよく出ていて、そこに自分たちがいるのは信じられなかったなあ。で、たまたまそのステージを観てくれたワーナーのプロデューサーの人が、レコーディングしてみないか?って誘ってくれて」

――そのときのバンド名は?

「まだアレレのレでした。さっきも言ったように、僕らはバンド名に何の愛着もなかった。実はそのプロデューサーの深川昌弘さんは、僕らのバンド名を変えるのをものすごくためらったそうなんです。一生懸命がんばってきた名前を変えさせるなんて失礼な話だと。でも僕ら、〈そうですよね。これじゃコミック・バンドだし〉なんて平然と答えたから(笑)」


カテゴリ : .com FLASH!

掲載: 2012年08月22日 18:00

更新: 2012年08月22日 18:00

インタヴュー・文/桑原シロー 写真提供/アップ フロント ワークス