竹内直
ジャズは、まだまだこんなものではない
ジャズは、自分を解放し、そして他者を解放する音楽だと、竹内直は、さらっと言いのけた。もっともこれは、ジャズだけではなく、あらゆる音楽の効用と言えるかも知れない。けれど竹内直が、最初にジャズにのめりこんだとき、他の音楽に比較して、明らかにジャズはそういう魅力を強烈に放っていて、それこそが竹内直の音楽の始まりということになる。
けれど、すべてのジャズがそうだというわけではないとも竹内直は言う。むしろ、ジャズの形式などどうでもよく、もっというとジャズにこだわっているわけではない。いい音楽であれば何でもいいんで、そういう音楽は他にもいっぱいあると言う。たとえばブラジル音楽、たとえばタンゴ。むろん、単純にそれらがいいというわけではなく、スタイルや形式にはこだわらないということだ。重要なのはそれがいい音楽であることで、そのことは、やっている間に自然に見えてくるという。さらにいえば、そのいい音楽の中身を捕まえたいのだと言う。つまり、それこそが自分を解放し、他者も解放する音楽だということになるだろう。
結局のところ、竹内直は、ジャズ・ファンを満足させるのではなく、ジャズも知らない普通の人を立ち止まらせ、夢中にさせる音楽が目標ということになるのかもしれない。ジャズといっても昔のような養分たっぷりの音楽ではなくなったという。竹内がジャズと出会った当時はフリー・ジャズの時代で、その頃のジャズにはそうした養分がたっぷりだったが、
今はカタチはそうであっても中身はスカスカだという。
さしあたって竹内の新作『セラフィナイト ライブ・アット・モーション・ブルー・ヨコハマ』の中心にあるのは、そうしたジャズの濃厚な養分ということになるだろう。ひとつひとつの演奏のスタイルなどは問題ではない。実際ここには、特定のジャズのスタイルへのこだわりはどこにもない。
竹内直は、最初アーチー・シェップに夢中になり、そして、次に当然のようにジョン・コルトレーン、さらにソニー・ロリンズやベン・ウェブスターなど。とりとめがないじゃないかと思うかもしれないが、これはいかにも自然なジャズ・サックスの受容ではないか。そして、実際に共演経験を積んだのが、山下洋輔、エルビン・ジョーンズ、そして、フレディ・ハバード。そうした経験がここには詰まっている。それは多様であるが、けれど、その自由度も実はどうでもいい。通りすがりのおばちゃんを振り向かせ、夢中にさせたいと言う。かつて、ジャズはそういうエネルギーがあり、この演奏は、まさにそこに向かっていると言う。