Gustavo Santaolalla
3作目で見せつける、バホフォンドの究極の「現在」
100年以上もの時間をかけて、あくまでも人力で、しかも打楽器を使わずにグルーヴを作り出してきたタンゴに、「管理」を連想させる電子機器によるビートを持ち込んだタンゴ・エレクトロが世に出たのは21世紀に入った頃だった。これを歓迎する声もあったが、その大半を占めた安直なブレンドを拒絶した聴衆も多かったはずだ。
そんな状況の中で2002年に登場したバホフォンド・タンゴ・クラブのアルバムは、そのセンスの良さで圧倒的な他者との差を見せつけた。いや、単にセンスだけでなく、根本的に異なる「なにか」が、彼らのサウンドを他とは違うモノにを押し上げていたのだが、それについて、具体的に説明ができないままだった。
ところが今回、11名のバンドメンバーとストリングス・オーケストラによって創り上げた、実質ダブル・アルバムの内容を収めた新作を聴いているうちにその霧が晴れてきた……というか、ようやくバホフォンドの全容が見えてきた気がする。本来ならダブル・アルバムにするべき量の、さまざまな表情を持った曲には、タンゴのエッセンスがたっぷり含まれているが、同時にロックの要素も共存している。《クエスタ・アリーバ》のようにエイト・ビートに出会ったミロンガはその好例だろう。
グスタヴォ・サンタオラジャはこう語る。
「タンゴには世界中のどんな聴衆も取り込むキャパシティーがあるが、バホフォンドはさらにスタイルを超越するんだ。強いて言うなら我々はロックバンドさ。しかし、我々の音楽には多くのロック・エレメントがあると同時にタンゴ、ミロンガ、エレクトロ、そしてヒップホップのエレメントがある。さらにクラシックのエレメントを見つけることもできるだろう」
さらにグスタヴォは本作を、一番ライヴに近く、聴くロードムービーだと位置づけるが、確かに聴いた後にはクラブでその重厚なサウンドを全身に浴びた後のような興奮を禁じ得ないし、彼の手がけたサントラに通じる郷愁も心に残る。センチメンタルをかき立てるグスタヴォの歌声に驚く人も多いだろう。
「低くきしむような僕の声しか知らない人には、きっと想像もできないだろうね。なにしろ27年前と同じキーで歌っているんだから」
まさに渾身の一撃というべき『プレセンテ』。しかしこれはタイトルの一意である「現在」が示すように、まさに彼らの現在形であり、同時にさらなる進化を予言している事も重要だ。その進化に併走できる幸福を素直に喜び、バホフォンドの「ライヴ」を全身で楽しんでみたい。
写真:グスタヴォ・サンラオラジャ(前列中央)とバフォフォンドのメンバーたち
Picky Talarico ©2012 Sony Music Entertainment